さとけんさんの静岡県〜山口県の旅行記

【三朝・温泉津】森鴎外・吉田松陰・金子みすゞを訪ねる旅。神奈川から山口までドライブ【2025年9月】
- 1日目2025年9月6日(土)
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御殿場市板妻
さて本日は、神奈川から山口県へ向けてのドライブを開始します。前日に台風15号が日本の南岸を、上陸しながら通過し、今朝は澄み切った朝を迎えております。今日の宿泊地は滋賀県の長浜で、神奈川県を早朝に出発して、国道1号の箱根越えではなく国道246号線で西へ向かいます。国道246号線を横浜方面から秦野方面へ走り新善波トンネルを通過しますと、まだ薄暗い空に富士山が見えてきまして、台風一過の影響で空気が澄んでいるのか、山頂にかけての山腹に、点々と光がみえますな。あれはなんだろう?と一瞬考えましたが、あの転々とした光が沢山、あれは登山者の持つライトの光だとすぐに気がつきました。みなさん、御来光を拝むためにまだ暗いうちから山頂を目指して登山を開始されているのですな。富士山の開山期間は夏だけですし、夏は空気が澄んでない日が多いので、遠くの地上から富士登山者のライトが列をなしている(というより、時折、ポツリポツリと光る感じですけれども)景色は、私には珍しかったです。画像は5時25分、国道246を西へ外れた御殿場市板妻で撮った富士山です。登山者の皆さん、さぞ美しい御来光を拝まれたことと思います。私はこの後、富士市で国道1号に乗り、愛知県の白須賀から国道23号線に乗って、名古屋の南を通って桑名の七里の渡しをかすって、関ヶ原へ向かいました。途中、眠気を感じるたびに20分ほどの仮眠休憩を取ります。
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時刻は12時15分、関ヶ原古戦場記念館に到着です。いやー、今日は暑いですねー。前回、私が関ヶ原を訪れたのは2023年12月18日のことで、あの日はこの古戦場記念館は定休日で、関ヶ原は前日の初雪を被ってほぼ真っ白な状態、みぞれ混じりの雨の中を寒い寒い思いをしながら歩き回ったのですが、今日はなんという暑さか、車を降りた瞬間から、歩く気力が消えていきます。空調の効いた館内に入りますと、ちょうど12時30分からのシアターに参加できまして、この映像はとても良かったですよー。関ヶ原の合戦が行われたその日に関する映像ですが、まずはプロジェクトマッピングが映し出される地形模型の前で、講談調の案内を聴きながら、関ヶ原の合戦の「流れ」を理解して、その後に奥の劇場の椅子に座って「シアター」をみると、そういう流れになっています。関ヶ原の合戦のその日に、現地で鳥あるいはドローンの視点で鳥瞰映像をみるというシステム、迫力があって映像に引き込まれましたね。私は事前に冬の関ヶ原を歩いていたというのも良かったなと思いました。島津の捨て奸(すてがまり)にも少しだけ触れていますが、あの時の捨て奸(島津の退き口)をもう少し深掘りすると更に迫力が増すことでしょうな。このシアター、人気があるようでウェブサイトで予約をしていくと確実にみられるようですよ。おすすめです。
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この画像は古戦場記念館の5階からの眺め、ガラスの縦の線が5本ありますが、左から2本目の縦線の山際と交わる場所に石田三成の陣地跡があります。徳川家康は、戦いの初期は桃配山に陣を敷きますが、戦いの最終盤には、この「関ヶ原古戦場記念館」の場所に本陣を移動しました。つまり、あの石田三成の陣を徳川家康が観た景色に近い、そんな景色ですね。記念館を辞します。
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米原市山東B&G海洋センター
関ヶ原古戦場記念館から車で、15分ほどの国道21号線沿いにある米原市の市民プールにやってきました。米原市民は大人300円で、市外の大人は600円で泳ぐことが出来ます。14時から15時30分まで泳いで長距離ドライブの身体をほぐしました。温水プールですが、壁や天井がテントのようになっていて、外のプールで泳いでいる気分になります。ほどよく疲れて15時45分に施設を辞します。
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ガソリンを入れ夕食を済ませ、16時50分に長浜の「ビジネスホテルいずみ」にチェックインです。施設は古いようですけれども、とても清潔感があって接客も良くて滞在していて安心感がありました。1泊素泊り4,500円の部屋を、じゃらんのクーポン2,000円とポイント500を使って2,000円で宿泊です。今回の旅程を考える際に、1日目はどうしようかなと、どこかの道の駅かあるいは高速のSAかPAで仮眠するかなと、いろいろ案を出して検討していたのですが、長浜で安く泊まることができそうだということで、直前にこのホテルを予約しました。結果、睡眠もしっかりとれてシャワーも浴びることが出来てトイレもあって、とても良かったと思います。明日は5時前にチェックアウトしますので夜は早く寝ます。
- 2日目2025年9月7日(日)
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海の駅 とまり 元気海 (鳥取県東伯郡湯梨浜町泊新港内)
本日は朝の5時ちょっと前に長浜を出発、日曜日の早朝ということもあり交通量は少なくて、琵琶湖の湖北を周りこんで西へ向かうルートは信号も少なくて実に快適なドライブになりました。国道8号→303号→27号→175号→176号と走って国道9号に入ると、あとはずっと道なりです。途中で眠気を感じると道の駅で仮眠休憩を取り、長距離ドライブもそろそろ疲れたなと思う10時25分、鳥取県は泊漁港の「海の駅 とまり 元気海」に到着です。こちらのお店は朝の9時から開店していまして、美味しいヒラメ料理が食べられるということでやってきました。時間も早いのでまだ混んでいませんね。食券機で食券を買って店員さんに食券を渡してから席に着きます。そして・・・
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海の駅 とまり 元気海 (鳥取県東伯郡湯梨浜町泊新港内)
やったー。ヒラメ元気丼・1,600円でございます。美味しかったですねー。まずヒラメが、もっちり・もちもちとした食感で、噛むと舌に刺身が当たって旨みを感じる、ダシのような旨みであって甘みではない、そんな感じですね。たっぷりたらふくヒラメを味わうことが出来ます。そして小鉢も一つ一つがとても美味しい。味が濃いわけではなくて、旨みがじわじわとあるお料理でしたねー。フルーツの梨も美味しかったですな。期待以上の満足の朝食となりました。御馳走様でした。
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さて時刻は11時20分、泊漁港から車で20分ほどの三朝温泉(みささおんせん)の共同浴場・株湯にやってまいりました。まず、車で株湯へ向かわれる方は、株湯の周りが細い道ですので、その点をご注意ください。駐車場は株湯の目の前に14台ほど停められる舗装された綺麗な駐車場があります。株湯は8時から21時45分jまで(月曜日は10時から)で、料金は大人400円です。券売機で400円を支払い、券を受付の女性に渡すと、「とても熱いです」と教えていただきます。かけ湯を何度もして一気には入らないように、身体が疲れるから長湯は止めて短く何度か入るようにしてくださいと、とても感じよく教えてくださいます。先客は3人、うち1人は服を着て出て行かれまして、洗い場に1名、そして浴槽に1名という具合。かけ湯を足首から少しずつ何度もしていきます。あっついすねー。確かに熱いわ。ですがね、この7月に山形のあつみ温泉へ行った記憶がまだまだ身体に染みついておりまして、これはまだ入れそうな気もします。というのも、目の前の浴槽に浸かっている方がいらっしゃいますので、これはもう視覚的な効果で、私も大丈夫であろうと、そんな気がするのでございます。足の親指センサーから入って膝下、腰、腹、胸と入って肩まで、おお、入ったぞぉ。しかし先客の湯船に浸かった1人が湯船のお湯をぐるぐるとかきまわされますので、これは熱い、熱いぞぅ。(下へ続く→)
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(→上から続く)冷たさすら感じる熱さですね。1回、肩まで浸かり、先客が出られて湯船を独占、一度湯船を出てからもう一度浸かります。今度は身体の周りに薄い膜が出来て、動かなければ大丈夫、般若心経を1回唱えることが出来るくらい浸かることが出来ました。熱いけれど汗がスッとひく良い湯でしたね。株湯の源泉名は「株湯混合泉(株湯1号2号)」、泉質は単純弱放射能温泉(低張性中性高温泉)、泉温は源泉が51.0℃・利用施設では44.0℃ということです。「放射能泉」って凄い響き・音ですよね。受付の感じの良い女性に「いいお湯でした」と挨拶をして外に出ます。源泉かけ流しの良いお湯に大満足です。株湯の外に出ますと、「足湯」と書かれた小屋が建っています。こちらは「以前の株湯(改修される前の共同浴場)」の建物で今は男女の仕切りがぶち抜かれて足湯施設になっている模様です。料金は無料、手をつけてみますとかなりぬるいですな。掲示されている温泉表によれば、源泉は株湯1号泉のみで泉温は38.2℃となっています。泉質は単純弱放射能温泉・低張性中性温泉です。しかし元・株湯の男女の境がこの仕切りだけというのはすごいですな。この仕切りを見て、昔のテレビ番組の「パンチDEデート」を思い出しましたな。「ひと目会ったその日から、恋の花咲くこともある」というあれです。ご対面♪という掛け声とともに仕切りが無くなって対面タイム開始です。
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そしてこらも株湯の駐車場のすぐそばにある「飲泉場」です。掲示されている泉質表には「世界屈指のラジウム温泉」とあり、「放射線のホルミシス効果」についての説明が書かれていました。「ラジウムが崩壊してできるラドン(ガス)のような弱い放射線を微量に受けることにより、刺激となり身体の細胞が活性化されます。それによって毛細血管が拡張して新陳代謝が向上し、免疫力や自然治癒力を高めます」とのこと、私の細胞も活性化されるのでしょうかね、手ですくってそれほど熱くないお湯を(こちらも株湯1号泉のみ・37.9℃)飲んでみました。
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時刻は12時ちょうど、三朝温泉の共同駐車場(無料)にやってきました。少し三朝温泉を歩いてみようかなと、そしてこの駐車場の横に建つ「依山楼岩崎」の立ち寄り湯に行ってみようかなとタオルを持って歩きだします。
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三朝温泉の中を流れる三徳川のほとりを歩きます。暑いこともあってひと気もなく静かですね。ちょうど12時ということもあるのかな。と、正面の橋の袂に目をやると・・・。
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おやおや、あれは河原湯ではないか。三朝温泉に来る前に私が調べたところによると、三朝温泉には河原に無料の混浴風呂があるが、入浴は難易度が高い(周りから見えやすいので入りづらい)という情報に接しておりましたので、端から河原風呂に入浴するつもりはありませんでしたが、今は人がいない模様です。これはチャーンス、ひと気もありませんし、ここはひとつ、河原風呂へ行ってみようかと気が変わりました。
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三朝橋の南詰の階段をおりますと、河原風呂が現れます。本日は9月7日で奇数日ですが、「奇数日の午前中は清掃のために入浴できない」というルールがありまして、現在の時刻は12時7分ですから、ちょうど入浴が解禁になった直後ですね。画像左手のスノコの上で服をチャッと脱ぎまして、画像右手に写っていませんが洗面器がありますので、それを使ってかけ湯をしますと、これが熱い。やはりか。熱いのぅ、こんなに熱いのかと。しかし今しがた株湯に浸かってきましたので身体は熱さに慣れていますから、ゆっくりゆっくり肩まで浸かって、川からの風を受けるとこれがなんとも気分の良い風です。身体を半分出したり、入れたりして3分から5分くらいですかね、空や川沿いの旅館の裏手やらを眺めつつ、三朝温泉の三徳川のほとりで熱い湯に浸かる己の人生の成り行きに、不思議だなぁと、どうして私はここにいるのだろうなどと考えました。風呂から上がって良く身体を拭いて服を着ていると、地元の男性が登場、笑顔で挨拶を交わします。ルールを守って入浴すれば地元の方も優しいです。
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三朝温泉の河原風呂のルールになります。画像の看板以外に看板があって、そちらには「入浴前には、かけ湯をしてください」「浴槽にタオルを浸けないでください」「付近で飲食、飲酒、喫煙はしないでください」「ゴミは各自でお持ち帰りください」「駐車場は多目的駐車場を(無料駐車場のことだと思います)をご利用ください」「大声、放吟などマナーに反する行為はしないでください」「奇数日の午前中は清掃のため入浴できません」「季節によって、熱い、ぬるいなどがありますが自然の恵みですのでご了承ください」と書かれています。画像の看板には追加で「ゆっくり浴槽に浸かって、長湯はしないで、風呂上りには水を飲んで」とあり、あとは「無断改装はするな」と、「浴槽内でのタオルや水着の着用はダメ」とのこと、ただし「女性に関しましてはタオル使用を許可します」と書かれています。どうぞ、三朝温泉に行かれた際には、こちらの河原風呂にチャレンジしてみてください。料金は無料、奇数日の午前中以外は24時間入ることが出来ます。
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そして依山楼岩崎の日帰り温泉にもやってきました。ここには「回遊式大庭園露天風呂」と呼ばれるお風呂(の集合体とでもいいましょうか)があります。「左の湯」と「右の湯」とお風呂群がありまして、本日の男性は「右の湯」です。右の湯には「露天風呂が2つ、蒸気風呂(サウナ)が1つ、ぬるい湯と水風呂、そして大き目な浴槽の少し熱い湯」という具合です。そしてその複数のお風呂を「回遊」してお風呂を楽しむということですな。なるほど。「左の湯」も右の湯とは趣が異なるお風呂が右の湯と同じくらいあります。料金は1,500円(小タオルは販売で200円、バスタオルはレンタルで150円)、時間は土日祝日は11時から15時まで、平日は14時から21時までという具合です。私はタオルは持参ですから1,500円を支払って、備え付けの水分を摂って右の湯に入浴です。先客は何人かいらっしゃるようですが、広いので混んでいませんし、お湯も熱くない。右の湯の中でも一番熱い「楽山の湯」という広いお風呂も比較的長湯が出来る感じです。泉質は「ナトリウム・塩化物炭酸水素塩泉」と「ラジウム泉」とありますので、2種類あるようですね、そしてここでもラジウム温泉の「ホルミシス効果」を掲げています。ラジウムが分解されて生じるラドンという弱い放射線を体に浴びると新陳代謝が活発になって、免疫力や自然治癒力が高まるそうです。40分ほど程よいお湯を楽しみました。
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時刻は13時25分、三朝温泉から車で20分ほどの「はわい温泉」の「ハワイ ゆーたうん」にやってきました。鳥取にあるハワイというのは私も前から知っていたのでちょっと立ち寄ってみました。「はわい」というだけあって「ハワイ」を意識して、受付の方はアロハシャツ、館内に流れる音楽はウクレレで奏でられるハワイアンという具合、料金は大人・450円、浴室は天井が高くて明るいですねー。お湯はぬるくはないが、少しだけ熱くて長湯ができます。泉質は「ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)」で、美人の湯とも言われ肌がぬるぬると滑らかに感じられますな。服を着ている時にタフアフアイという曲が流れますと、牧伸二さんの「あーぁぁヤンなっちゃった、あーあああ、おどろいた」をつい思い出してしまいます。ゆーたうんを辞し、倉吉市の市民プールへ向かいます。
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時刻は14時10分、はわい温泉から車で15分ほどの倉吉市営温水プールにやってきました。ここは複合施設の一角で、日曜日の14時ということもあって駐車場はとても広いのにほとんど満車でしたね。14時半から16時半までの2時間をここで泳いで身体を伸ばします。16時50分に駐車場を離れ、ガソリンを入れて夕食を済ませて本日のお宿へ向かいます。
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17時25分にアーク21にチェックイン、とてもきれいな部屋でしたね。デスクが大きくて使いやすいですし、ユニットバスも大きめでした。このホテル素泊りで5,000円にじゃらんのクーポン2,000円を使用して3,000円で宿泊、大風呂もあるのですが本日は疲れて到着とともに1時間ほど眠ってしまい、起きた後は部屋のシャワーを浴びてまとめなど書いて、23時に就寝です。明日は3時45分に起床し4時45分にチェックアウトします。
- 3日目2025年9月8日(月)
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本日は倉吉のホテルアーク21を4時50分にチェックアウト、外はまるで冬のように暗く、どうしたのかなとおもっていますと、車を走らせて5分としないうちに雨が降り始めて、すぐに豪雨となります。信号があまりない道を走って日本海を右手にしながら西へ走りますと、時折、稲妻が光ってドォーンと雷が落ちます。なかなかダイナミックです。国道9号を米子から松江と走り、松江からは宍道湖の北岸を走って出雲へ、2時間半のドライブでした。松江を過ぎると段々と雨は小降りになってきて、7時30分に出雲大社に到着した時にはほとんど止んでいる状態でした。出雲大社の無料大駐車場に車を停めて、鳥居の方まで周ってから参拝開始です。
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7時30分過ぎという時間だけでなく直前に雨が降った影響でしょうか、境内に参拝者が少ないですね。この下り参道も人が少なくて、以前、私が来た時は大行列が出来ていた祓社も本日は誰もいらっしゃいませんな。もっとも、この前に私が来たのは2016年11月の神在祭の期間中でしたから、特に参拝者の多い期間ではありました。祓社にてお詣りをして、下り参道を下り、祓橋を渡って松の参道、銅鳥居と進みます。雨後の清浄と境内の静謐で、澄んだ空間を歩きます。
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八足門の前で本殿に向かい2礼4拍手1礼のお詣りをしました。ここを右手に行って、左回り(反時計回り)で本殿周辺の社にお詣りします。
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ぐるっと周ってきました。神社らしい落ち着いた空間で良いお詣りができました。
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時刻は8時15分、出雲大社の大駐車場の近くに8時開店の御蕎麦屋さん「おくに」があります。本日はこちらで出雲そばの朝ごはん、割子そば・3段・1,050円です。つゆを直接蕎麦にかけて食べます。蕎麦湯は頼むと持ってきてくれます。さっぱりとした御蕎麦がとても美味しかったです。ごちそうさまでした。稲佐の浜へ行ってみます。
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時刻は8時35分、稲佐の浜にやってきました。ここに来るのは私は初めてです。旧暦の10月10日には全国の八百万の神々が、ここで迎えられるそうですな。弁天島が、海から上陸してくる神様に見えなくもないなどと考えました。日御碕灯台へ向かいます。
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時刻は8時57分、日御碕灯台にやってきました。私は30年ぶりですかね。ここは「登れる灯台」の1つですから、さっそく登ってみましょう。
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入口で300円を支払い靴を脱ぎます。そしてこのような階段が上まで続きます。けっこうスカスカに見える階段で、ちょっと怖いのと昇れども昇れども終点に着かないのとで、ハアハアと息が荒くなります。こんなに高かったかな? しかし登り終わって降りてきたときに受付の女性に聞いたところ、この灯台は日本一高い灯台とのこと。灯台の高さには海上からの高さと地上からの高さがありますが、日御碕灯台は地上からの高さが43.65mあって、石造りの灯台としては日本一の地上からの高さとのこと。疲れるはずです。
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おお。これは良い眺めだな。そしてこの光景、なんとなく覚えておりますよ。今回こちらには、30年前の自分の思いを回収にやってきたようなものです。日御碕灯台を辞し、温泉津へ向かいます。
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日理岬灯台から途中で高速道路も使って温泉津に到着です。温泉津と書いて「ゆのつ」と読みます。私はすっかり「おんせんつ」だとばかり思っていました。「ゆのつ」です。時刻は10時25分、日御碕灯台から1時間ほどですね。「津」というだけあって、温泉津の入口は温泉津港という小さな漁港です。温泉津の無料駐車場はこの海岸沿いにあり、そこは温泉津温泉街の入口でもあります。
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タオルを持って温泉津の町並みを歩きます。静かですね、それと、ひと気があまりなくて、何か、違う時代に迷い込んだ気分ですな。温泉津は石見銀山で採掘された銀の積出港でしたので、石見銀山の最盛期には多くの人が生活していたそうです。あまり広さの無い土地にどれほどの人口密度であったのでしょうか、さぞ賑やかだったでしょうね。
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温泉津温泉の薬師湯にやってまいりした。受付で600円を支払いますと、受付の女性(ウェブサイトで確認しましたら、この方が薬師湯のオーナーです)が温泉の入り方などレクチャーしてくださいます。確か、「熱い湯ですので、かけ湯を何度も足首から順にすること、長湯はしないで、湯船から出て椅子に腰を掛けて身体を冷ましてからまた湯船に浸かる、湯船のふちには湯の花が付いているので、そこは座らないで完全に湯船を出てください。(身体を冷ますときに湯船のふちに腰をかけて半身浴をする風呂の入り方があるけれども、ここでは湯船のふちに腰を掛けないで、完全に湯船から上がって身体を冷ましてください)」などなど、あと入浴前後の水分補給は充分にしてくださいだったかと思います。温泉から出る時はシャワーで温泉成分を洗い流すのではなく、出たまま身体を拭いて出ると、温泉効果が上がるという話もありました。さて、同時に薬師湯に到着して一緒にオーナーの話を聞いたお客さんとともに脱衣所に入り服を脱いで浴場に入りますと、湯船に先客1人という感じ、かけ湯を足首から何度もかけて上半身にもかけ湯をして、さて風呂に浸かります。
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良い色してますねー。湯船の周りの黄金色といいますか鉄色といいますか、これはすべて湯の花です。確かに熱い、熱いのだが昨日の三朝温泉の株湯や河原風呂の熱さに比べると、こちらのお湯は少し優しい感じがしますね、ピリピリという熱さではなく、ズンッという感じで肌に当たる熱さです。膝まで入り腿まで入り腰まで入り腹まで入り肩まで入りという具合で湯船に浸かります。3人入っていっぱいという広さですね。私は1回完全に湯船から出て身体を冷ましてからもう1度入浴する感じでこの湯を楽しみました。脱衣所にあるベンチに腰をかけながら、汗をひかせつつ3人で談笑します。どこから来ましたかとかどんな写真を撮ったかなどという軽い話ですが、ゆったりとしていていい時間でした。なお、薬師湯の泉質は「ナトリウムー塩化物温泉(低張性中性高温泉)」で、源泉温度は46℃・使用位置の温度は44℃となっています。
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温泉からでますと、2階と3階に座るところがあって、番台の女性が「2階へも3階へもお上がりください」と勧めてくださいますので、この画像は3階の眺めです。風があると嬉しいのですが、この日は風がほとんどなくて、外の暑さと、保温効果の高い温泉に入った後の熱さで、かなり暑さを感じますね。購入したサイダーをグビグビと飲んで、ああウマいと悦にいります。のどかで静かな良い町並みですねー。今度はここで泊まりたいな、滞在したいななどと思いました。11時40分ごろに温泉津温泉を離れます。次は津和野へ向かいます。
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温泉津から津和野へ車で走っていると、温泉の効果か、少し眠気を感じてきましたので、道の駅・ゆうひパーク三隅で仮眠休憩をとるために停車します。仮眠休憩をとるつもりだったのですが、海寄りの景色を観に行くととてもいい景色、海のすぐ近くに線路が走っていて、おお、この景色はどこかで見たことがあるな、ここは鉄道撮影のベストスポットの1つではないかと気がつきます。それならば私も列車が来るのを待ってみるかと15分ほどですかね、待っていたのですが、列車が全然現れません。一緒に待っていた方が調べて私にも教えて下さったのですが、今朝の大雨で山陰本線は運転中止になっているそうで、なるほど、いくら待っても列車が来ないはずですな。残念ですが道の駅を離れて津和野へ向かいます。眠気はすっかり無くなっておりました。
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時刻は14時、津和野に到着です。途中で15分の休憩をとっていますから、温泉津温泉から2時間ちょっとのドライブですね。津和野の町役場の裏手にある「中央駐車場」(1日500円)に車を停めて津和野の町を歩いてみます。津和野には「観光駐車場」のような無料の駐車場は無くて、駅前の駐車場が30分まで無料という感じで、あとは1日500円が相場のようですね。画像の津和野駅まで歩いてきました。私は津和野は2004年に来ていますので21年ぶりです。萩・津和野へ行きたいという母を連れて、当時の私は1年の内で9月だけが時間の取れる月でしたし、9月は母の誕生月ということもあって、2004年の9月に新幹線で新山口まで来て、新山口から津和野は在来線で津和野までやってきました。在来線の中高生たちが、とても礼儀正しく乗車して、観光客の私たちにもとても優しく接してくださったことを覚えております。津和野の駅は新しくなったのかな?綺麗な駅舎が建っていますな。津和野の駅前から本町通りを養老館まで歩いてみます。
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本町通りの途中の津和野町日本遺産センターを過ぎると右手に、本日のお宿である「のれん宿 明月」がありますので、駐車場はどこにあるのか知りたくて、細い路地に入ります。おお、これはいい雰囲気ですねー。
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こちらが本日のお宿、明月さんです。料亭のような風情のある建物、純和風造りの木造2階建てですな。チェックインは15時30分からですのでまだ間はあります。駐車場はどこかなと、建物の周りには無いようです。津和野町日本遺産センターの正面の駐車場に「明月」の区画が4つほどありましたので、チェックインの際はこちらに車を移動することにして、津和野の町歩きを再開します。
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津和野の本町通りです。電柱も電線も無く、道も広くて歩きやすいですね。私にとっての津和野の印象はやはり、細い路地もこの通りも、長い時間に醸成された上品な雰囲気を持っているということです。観光客が少ない通りを歩いておりますと、だんだんに暑くなってきました。
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藩校養老館の用水路をみて、以前と同じ場所にやって来たなと実感します。駅からけっこう歩きましたが、21年前もこのくらい歩いたのかな。21年前には既に後期高齢者だった母親をこんなに歩かせたのかなと、きつくはなかったろうかと少し反省です。
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藩校養老館を見学しましょう。見学料は100円です。2015年から全面解体によって改修工事が行われ、2019年3月に竣工しました。津和野藩校養老館は現在の地に1855年に建設され、多くの人材が輩出されました。現在残っている建物は、門より入って左の剣術教場、右の槍術教場、正面の土蔵(御書物蔵)です。当時の敷地は今よりも広かったようですね。現在は蔵の前に「森鴎外遺言碑」が建っています。
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昭和6年に建てられた教会です。かつてはこの敷地も養老館の敷地でした。さて、車を中央駐車場へ取りに戻って、本日のお宿にチェックインしますかね。
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物腰の柔らかな女将さんの案内で、こちらが本日の和室、明るくて広縁もあってとても良いですな。お風呂の用意ができますと部屋まで呼びに来てくださいまして、木の香りが心地よいお風呂で汗を流しますと、実に気分が良い。外は暑いですから、もう散歩もやめて今日はずっと宿に滞在することにします。なお、このお宿は1泊2食付きで13,200円のプランを、じゃらんのクーポン・3,000円を使って10,200で宿泊します。
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18時からは食堂でお夕飯です。イサキ・カンパチ・タコ・アカガイのお刺身が美味しかったですね。それとキクラゲの入った刺身こんにゃくも良かったな。牛肉の焼き物も柔らかくて美味しいです。モズクの酢の物がいいですねー。ちょっと夏バテ気味の身体に美味しい酢の物は嬉しいですな。
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そしてこちらは「石のこころ」という郷土料理とのこと。サバ・タイ・スモークサーモン・ウリ・ナス・フキノトウ・ショウガ・ミョウガを酢につけて、その漬け具合も親から子に引き継がれるそうでございます。酢の旨みが身体にスッと入っていく感じでとてもおいしゅうございました。フルーツの梨も美味しかったです。御馳走様でした。食事のあとは記録をとって、23時から翌朝の6時まで、よく眠ることが出来ました。
- 4日目2025年9月9日(火)
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さて本日は6時に起床、部屋のユニットバスのシャワーを浴びて7時から朝食です。画像左下の作り立て・巻き立てのだし巻き玉子が美味しかったですねー。鶏肉の肉じゃがや白米も美味しいですな。コーヒーを飲まずに部屋に戻りましたら、部屋までコーヒーを届けてくださいました。嬉しいですね。本日は9時開館の森鴎外記念館へ行きますので、部屋でまとめなどを書きながら1時間ほど、ゆったりとした朝の時間を過ごしました。8時50分にチェックアウト、とても丁寧なお見送りを女将さんから受けて、気分よく出発できました。
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時刻は8時57分、森鴎外記念館にやってきました。昨日の月曜日は休館日でしたので、本日の最初の訪問地はここです。9時開館と同時に入館し、まずビデオを観ます。森鴎外は10歳まで津和野で生活していて、10歳の時に上京し、それ以後は津和野へは戻ってこなかったが、遺言で「余は石見人 森林太郎として死せんと欲す」と言い残したことで、鴎外の津和野に対する想いが伝わりますな。展示は大きくわけて3つに分類されていて、1つ目は10歳で上京したあとの森鴎外の活躍について、2つ目は東京における鴎外の居住地の変遷について、3つ目が10歳までの津和野での生活についてという展示になります。森林太郎は身内の期待を一身に受けて大切に育てられ、かつ、大いに鍛えられて、10歳で父とともに上京し、なんと11歳10ヶ月で東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学、これは年齢制限が14歳から17歳となっているところを年齢を高く偽って入学しているのですな。19歳で卒業する時は28人中8位なので官費留学生に選ばれないと落胆したそうですが、周りは年上ばかり(同級生は7歳くらい年上だったそうです)で、しかも71人入学のうちの「卒業できた28人」の中に残って、その8位というわけです。たいしたものですね。官費留学生に選ばれなかった彼は軍人になります。本当は物書きになりたかったみたいですね。そして軍人としてドイツへの留学を果たしました。
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この記念館の展示にはありませんでしたけれども、かつて私が東海道を歩いた際に、森鴎外が東海道の土山宿で客死した祖父の墓を探し出して(常明寺)丁寧に改葬したという逸話を知って、私は感銘を受けたことがあります。森林太郎さんは、家族からだけでなく、日本という国家からも、その期待を一身に受けて、己の意思よりも公人としての役目に重きを置いた人生、つまり自分のやりたいようには出来なかった人生かもしれませんが、軍人としてだけでなく作家としてもその才能をいかんなく発揮した森鴎外の根幹に在るものは、母や身内の愛情を一身に集めて大切に育てられた、そして学問に関しては妥協なく鍛えられた、ここ津和野の10年間にあったのだろうと、私は思った次第です。さて時刻は10時10分、森鴎外記念館を辞し萩へ向かいます。記念館を出て車に乗車したとたんに、ザーザーと大雨が降ってきました。しかし津和野から萩までの山越えは道もしっかりしていて、雨も止んで、快適なドライブとなりました。
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時刻は11時10分、萩の松陰神社に到着です。吉田松陰は1830年9月に生まれ1859年11月に亡くなられました。幼少期から学問は厳しくしつけられ、11歳の時に、長州藩の藩主に対して講義をします。それが見事であったということで、彼の才能の非凡なるは周知の事実となります。
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吉田松陰は、20歳の時から、下関・平戸・長崎・熊本、そして22歳では江戸・鎌倉・館山・水戸・会津・佐渡・津軽と、日本各地を旅して周り旅日記を記し、多くの人と会って大きな影響を受けます。この松陰神社の至誠館という資料館には「発動の機は周遊の益なり」という言葉が紹介されていますが、これは吉田松陰が21歳の時に九州を訪れた際に記した「西遊日記」の序文の一部分です。「心はもと活きたり、活きたるものは必ず機あり、機なるものは触に従いて発し、感に遇いて動く。発動の機は、周遊の益なり」という文章を松陰さんは残されているそうです。私が自分なりに訳すと、「人の心はもともとは活き活きとしたもので、活き活きと動き出す機会を待っている。その機会は何かに接触することで発生し、己の深い気持ちに到達して心が動き出す。心が感動し活き活きとしはじめるきっかけとなるもの、それが旅のいいところだ」という感じでしょうか。机上の勉学だけでなく、自分の足で歩き回り自分の眼で見て感じ、人と会って影響を受けて、自分の為すべきことを成していけと、そういうことでしょうか。フィールドワークや実学の重要性を、20歳にして旅を始めた松陰さんは強く実感されていたんでしょうね。問題意識や危機意識を持って、それに応えた行動をとりましょうよと、吉田松陰は思っていたのかなと感じました。
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しかし吉田松陰は、その旅を通じた彼の行動のスピード感が、当時の彼を取り巻く「世間」のスピード感よりもどんどんと速くなって行くことで、多くの軋轢が生じてきます。結果、彼は問題のある人物として幽閉されるのですが、松陰さんは更に学び、そして教え、多大なる影響を人々に、そして日本の歴史に与えることになりました。20歳を過ぎてからの彼の人生は、何か、生き急いでいるかのような印象すら私は受けるのですが、どうでしょうかね。彼の人生には疾走感があります。私は至誠館、歴史館と見学して、時刻は13時前、すっかり暑くなってきました。松陰神社から歩いて行くことが出来る伊藤博文の旧宅へ行ってみることにします。
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日本の初代内閣総理大臣・伊藤博文さんの旧宅です。松下村塾から実に近いですね。この近さが、彼をして日本の初代内閣総理大臣に為さしめたのかもしれないと、一つの歴史の可能性として考えると、実に面白いですね。伊藤博文さんがちょっとやそっとでは松下村塾に通えないような場所に住んでいたとしたら、彼は日本の内閣総理大臣にはならなかったかもしれません。歴史の表舞台に出てくるのは全く別の人だったかもしれません。松陰神社に戻り、菊ヶ浜の駐車場に移動します。
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時刻は13時40分。菊ヶ浜の駐車場に車を停めます。菊ヶ浜の駐車場は、海水浴のシーズン中は有料の駐車場になるようですが、シーズンオフには無料の観光駐車場になるようです。菊ヶ浜に出てきますと、きれいだなー。空も海も砂浜も、美しく穏やかで、そして静かです。
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そして人がいないのだ。静かなはずです。今から21年前の2004年の9月に母を連れて萩・津和野の旅行をした時は、ちょうど我々が萩に泊まる日に、台風18号がこの菊ヶ浜上空を通過しました。午前中に萩まではなんとか来ることが出来たが当然観光どころではなくて、その日宿泊する予定の「宵待ちの宿 萩一輪」にご厚意で滞在させていただき、お宿の部屋から荒れ狂う菊ヶ浜を眺めていた記憶があります。松の木が今にも折れるんじゃないかという具合にグアングアンと大きく揺れていました。お夕飯は萩一輪さんでいただくことが出来たのですが、その後の停電で宿泊することが出来ず、台風が通過してすっかり静かになった道を、手配をしていただいた隣りの「千秋楽」さんに移動して宿泊することが出来ました。本当にありがたかったですね。今日はその「萩一輪」さんと姉妹館である「リゾートホテル 美萩」に宿泊する予定です。チェックインの15時まで、まだ時間がありますで、萩の城下町を歩いてみたいと思います。
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海岸沿いの道から南へ1本、通りを入るとこのような町並みになります。これはいいー。
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右に山口県立萩高等学校、左に萩市立萩西中学校の通りを歩きます。日陰は良いのですが、日なたは暑いですね。歩くほどに暑くなってきました。しかし、良い眺めがズラッと遠くまで続いています。城下町の風情がこの広さで残る町は珍しいのではないかな。萩は鉄道も町中を走っていないのですな。これは鉄道を敷くときにワザと町中を通さなかったみたいですね。駅もないので商業施設なども新しく造られることもなく、昔ながらの住宅地が残っています。
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こちらは堀内鍵曲、鍵曲(かいまがり)は、敵の侵入や攻撃に備えるため、左右が高い土塀で囲まれた、見通しのきかない鍵手形の道路のことです。藩政時代はこのあたりに重臣たちの邸宅が立ち並んでいましたが、明治時代以降はほとんどの屋敷が解体されたそうです。
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それでは口羽家(くちばけ)住宅へお邪魔してみましょう。口羽家は毛利家の庶流で、関ヶ原の合戦の後、毛利家に従って萩に移り住んできたとのこと。国指定の重要文化財です。
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案内の女性がとても詳しく解説をしてくださいます。ここは「相の間(あいのま)」と呼ばれる部屋です。武者だまりとか武者隠しなどとも呼ばれる部屋で、画像の右手に主人の応接間があって、そこで異常があれば武器を持って突入し、主人のピンチを守るということです。
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こちらが武器の面々です。下から2本目が「袖がらみ」
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毛利家の分家でありながら、この口羽家住宅は質素な印象を受けますね。係の女性の方、詳しく案内していただきまして、本当にありがとうございました。さて、そろそろ、本日のお宿へ向かいますかね。
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時刻は15時2分、リゾートホテル・美萩にチェックインしました。おお、良い和室ですね。外の景色もとても良いぞぅ。本日の宿泊は、1泊2食付きの23,760円のプランにじゃらんの3,500円のクーポンを使って、20,260円で宿泊です。
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菊ヶ浜がばっちり見えております。荷物を整理したらすぐに菊ヶ浜へ散歩に行きます。
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おお。穏やかですね。島々がみえて、こんなにも綺麗な景色なのかと。浜の後ろをみると、ホテル「萩一輪」と「美萩」が並んで立っています。
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浜にところどころに穴が開いていて、何の穴かなと思っていると、時々、ジッ、ジッと動くのですよ。これは息をつめて待っていると、カニが出てきます。実に用心深いカニ達でして、私がちょっとでも動くと、バッと穴に入ってしまいますな。30分くらい浜をぶらぶらとしてから、ホテルに戻り、浴衣に着替えて大浴場へ。2階の展望風呂の眺めが、だいたいこの景色と同じですから、とても良い景色です。湯加減も熱すぎずぬるすぎず、長湯の出来る湯加減ですな。16時からは露天風呂も開きます。眺めの良さは2階の展望風呂がとても良いと思います。お湯は温泉で、泉質は「カルシウム・ナトリウム塩化物泉」です。
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時刻は17時45分、食堂にてお夕飯です。まず左手の鍋、これには見蘭牛とむつみ豚の鍋なのですが、牛肉が美味しかったですな。そしてお造りはサザエがウマかった。
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こちらのアワビの蒸し焼きも美味しかったですねー。ガーリック風味で、サクサクとナイフが通って柔らかく、ホクホクといただきます。
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そしてこの握りが美味かったですな。酢飯も絶妙でネタも良かったです。ワタリガニの味噌汁もメバルの煮魚も美味しかったです。御馳走様でした。食事のあとはお風呂に1回入りに行って、まとめなど書いてのんびりと過ごしました。
- 5日目2025年9月10日(水)
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本日は6時に起床し大浴場で30分ほどお風呂に入ります。7時30分からは朝食、この朝食も豪勢でしたねー。鍋物はコガネガレイ、焼き物はカレイのみりん干し、蒸し物はふぐ一夜干しです。
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これが蒸し物ですが、このフグが美味かったですね。蒸されてじんわりと味がにじみだしてくるような感じ。なかなか良かったです。リゾートホテル・美萩、部屋も食事も風呂も接客も立地も良かったですね。8時55分にチェックアウトすると、駐車場の車に乗り込むか乗り込まないかという時に雨が降ってきて、やがて雨脚が強くなってきました。
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本日は35年ぶりの秋芳洞にやってきました。車が駐車場に着くときに一番雨脚が強くて、これはもう豪雨といっていいでしょう、雨雲レーダーも真っ赤になっています。雷も光って随分と降ったが雨雲レーダーをみると10分も待てば小降りになるとわかりましたので、駐車場に車を停めて車の中でしばらく待機です。小ぶりになってから車を降りて6分ほど歩いて、途中に料金所があり1,300円を支払って秋芳洞にやってきました。この入口が、ごぉごぉと音が鳴って一番勇気がいる場所でしたな。今しがたの雨の影響なのか、洞から出てくる水の音が迫力があって周りに人もいないし、ちょっと怖かったですよ。
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洞の中に入ると、涼しいのですが湿度が大変に高い。じっとりとします。入ってすぐのこの百枚皿、この景色は覚えております。秋芳洞は高校3年の春に、卒業式の後ですね、友人2人と18きっぷでやってきました。あの時は萩の民宿に泊まって、大垣夜行があるころですから神奈川から東萩まで18きっぷ1枚・1日分で来られるわけですけれども、到着が22時くらいだったと思いますが、民宿でお夕飯を出してくださいまして、ありがたいとともに恥ずかしい思い出でございますな。というのも、あの時に宿を電話で予約したのは私でして、到着は22時ごろになるが夕食は出していただけますかとか、料金はもう少し安くなりませんかとか、世間知らずにもほどがあるというか、厚かましさもここまで行けば一目置かざるを得ないというか、今の私の目の前に、当時の私が現れようものならば「ちょっと君、そこに正座しなさい」という感じでとっちめる他ない、あー、恥ずかしい。民宿のおば様、本当に本当にありがとうございました。
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しかし、世間知らずというのは怖いもの知らずと同じでして、この秋芳洞を歩いていても、今の私はちゃんと歩くことのできる・歩道が整備された秋芳洞のような洞窟なら入ってもいいが、未整備でロープやらライトやらを持ってビショビショに濡れながらはいつくばって入らねばならないような洞窟などは、報酬をもらっても探検したくありませんが、高校生の時の私でしたら、月や火星に行って探検して来いなどと仮に言われたとしても、喜んで行ったと思いますね、当時の私なら。今の私ならばアマゾンの奥地など行くのは気分的に到底無理ですし、北海道の山林だってヒグマが怖くて近づきたくありませんから。そんなことを考えつつ、40分ほどの秋芳洞の旅でした。
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秋芳洞から駐車場までの道に、なんですかなこれは。ミネドン? めんこいな、おヌシ。ちょっと今、調べてきましたら年齢は「2億3000万歳くらい?」とあります。かなり年上の御仁か、これは失礼しました。美祢市のゆるキャラですな。秋芳洞から仙崎へ向かいます。
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道の駅・センザキキッチンの「ひものや食堂・ひだまり」にて、「よあけ・1,280円」(アジフライ定食)をいただきます。このアジフライ、うまかったですよー。お箸でサクサクと切ることが出来ます。御馳走様でした。
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美味しいアジフライ定食を食べた後は、このセンザキキッチンでお土産を購入です。魅力的な生ものが沢山ありましたが、日保ちのしない生ものは購入できませんので、おつまみ系になるわけですが、ホタテのヒモ、サキイカ、タコワサ(←これ最高)、松陰チップス(普通にゆずしおです)、などなど、どれも地元の業者の品物で味が甘みのある濃さでとても良かったですね。全種類、自分の分も購入しております。ふぐのプレーンというのは、今一つでしたね、美味しい食べ方があるのかな? 金子みすゞ記念館へ向かいます。
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時刻は12時30分過ぎ、センザキキッチンから車で3分ほどの金子みすゞ記念館に到着です。まずは画像右手の、金子みすゞが住んでいた書店・文房具店を再現した建物に入ります。
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こちらの建物は写真撮影が可能でございます。ところどころにみすゞさんの詩が展示されていまして、どれも可愛らしいですねぇ。「ばあやのお話」とかですね、「おかし」とかですね。これは弟のお菓子を隠して食べてしまったのだが、にがくてかなしいお菓子だというみすゞさんの感性がいいですね、「おいてみて、とってみて、またおいてみて」と幼い時のみすゞさんも逡巡するわけですな、可愛らしい。弟が来ないから食べてしまったと。私はこの詩を読みながら、我が姉を思い出します。おいてみて、とってみてまたおいて、私のおやつを食べてしまった我が姉を想像してクスリと笑います。多分、やったことがあるのではないかなと。ハハハ。言葉づかいとか、あふれ出る感性とかが、時代を背景にした独特な可愛らしさを持っていますね。コタツを「おこた」とか背中を「おせな」とか、現代ではよっぽど育ちの良い家庭で大切に育てられた子供じゃないと使わないような言葉、戦前のこどもことばとでもいうのですかね、その語感の柔らかさに、暖かくて柔らかい毛布に包まれているような気分になります。
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みすゞさんには正祐(まさすけ)さんという弟さんがいらっしゃいまして、あのお菓子の詩に登場する弟さんでしょうね、この方は劇団・若草の創設者である上山雅輔(かみやまがすけ)さんと同一人物なのですが、正祐さんはみすゞさんを実の姉だと知らずに育ったそうなんです。というのも、みすゞさんと正祐さんの実のお母様の妹さんの嫁ぎ先に正祐さんが1歳11ヶ月の時に養子に出されて、それ以後、正祐さんにはみすゞさんが実の兄弟であることを知らせずに育てたらしいのです。正祐さんにとっては従妹である年上のみすゞさんとその兄の堅助さんとは、文学の話でとても気が合って3人は仲がとても良かったらしい。次第に正祐さんはみすゞさんに「ほのかな恋心」を抱き始めたそうです。みすゞさんの結婚が決まった時に、正祐さんは大反対をして、なんとか結婚しないでくれとみすゞさんに話し合いをお願いしますが、その話し合いの時にみすゞさんが実の姉だと正祐さん知るわけです。正祐さんの立場に立ちますと、驚天動地の展開でしょうねー。私も展示物を読みながら、この展開を理解して、しぱし立ち尽くします。これはもう、ショックだったろうなと。ただただ、ショックだつたろうと。
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金子文英堂の建物を出ますと、本館(資料館)の見学になります。本館は基本的に写真撮影が禁止されていて、こちらは記念館本館で唯一写真撮影が可能な場所です。本館ではまずビデオを観て、こちらのビデオではみすゞさんの娘さんのお話など興味深く拝見しました。みすゞさんの結婚は、弟さんが危惧されたように、苦労の多い結婚生活だったようです。みすゞさん、あなたを大切にしない世界は、すべてあなたから遠ざけていいのですよと、あなた自身の存在を消すのではなくて、あなたを大切にしない世界の存在をあなたの中から消せばいいのですよと、私にはもう、そんなことしか思えませんが。心に残る訪問になりました。金子みすゞ記念館を辞します。
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時刻は15時30分、萩観光ホテルにチェックインします。おお、いいお部屋ですな。こじんまりとした和室に窓の外は萩漁港が見えますね。本日の宿泊は1泊2食付きで25,300円のプランを、じゃらんのクーポン4,000円を使って、21,300円で宿泊です。
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これはいいな。お風呂から出てきたら窓際の椅子に座って、のんびりとしますか。
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時刻は15時40分、お風呂にやってきました。こちらは時間帯で男女入れ替え制になります。内湯は熱め、露天はぬるめ、それもかなりぬるいので、ずっと入っていられる感じです。露天からの景色は良いですよー、ここの露天は良い景色だな。お湯がぬるいのも景色を長く楽しむ為かもしれませんね。そしてこの日、驚くべきことに、15時40分から16時40分まで、誰一人としてお風呂に入りに来る人が居ませんでしたな。貸切状態・独占です。少し嬉しかったですよ。このお湯は「はぎ温泉」で、泉質は「カルシウム・ナトリウムー塩化物冷鉱泉」(低張性中性冷鉱泉)、源泉温度は21.6℃とのこと。
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ロビーでウェルカムコーヒーを飲みながら景色を楽しみます。良い景色ですねー。萩観光ホテルは高台にあって、景色の採り方がとても巧い構造になっていますね。1967年に建った建物らしいのですが、内部は完全にリニューアルされていて、部屋も廊下もお風呂も、とても綺麗で安心して滞在できました。部屋にもどって窓際の椅子で海を眺めます。
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18時からは食堂でお夕飯です。まず、画像左手前の「ふくの薄造り」が美味しかったですね。旨みを舌に感じて薄くて歯ごたえもいいし、いいですね。その上の閉じた蒸し物はアワビで、これまた柔らかくて美味しかったな。
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こちらは「ふくのチリソース」です。あと「ふくのフライ」も出ましたね。どちらも美味しかったのですが、やはりフグの旨みは薄造りが最高でした。
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そしてこちら、「長萩和牛の一口ステーキ」、これも美味しかったなぁ。今回の夕食は、美味しいものを少しずつというプランでしたが、どれも美味しくて満足できました。食事のあとはお風呂に1回入って、まとめなど書き、全部終わったのが23時です。明日は長距離のドライブになりますので、本日は良く睡眠をとりましょう。
- 6日目2025年9月11日(木)
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さて、本日は5時55分に起床、おお、朝日がもうすぐにもこぼれ出そうですな。すぐにお風呂へ行って、露天風呂から萩漁港を見下ろしながら、対面の山から出てきた朝日を眺めます。眩しいですな。
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7時30分から食堂で朝食です。朝ごはんはいろんなおかずが少しずつあって、イカ刺しも焼き魚もあって、熱々のシジミ汁も美味しかったし白米も美味しかったですね。御馳走様でした。8時48分にチェックアウト、お見送りを受けて気分よく出発です。本日は日本海側の萩を出発して、瀬戸内海側の周防大島をまずは目指します。
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時刻は12時05分、萩から3時間ほどのドライブで周防大島町の陸奥記念館に到着です。陸奥は長門型戦艦の2番艦で、1921年に竣工、1943年6月8日の昼の12時15分ごろ、原因不明の大爆発を起こしてこの記念館の近くの海に沈没しました。総員1,471名の内、生存者はわずか350名でした。1947年(昭和22年)に船体の引き揚げが試みられましたが一旦は中止となり、1970年(昭和45年)から8年間の作業の結果、主砲など船体の75%とともに乗組員の遺骨・遺品も引き揚げられて、ここ周防大島町の陸奥記念館に展示・保存されています。休館日は水曜日と年末年始、開館時間は9時から16時30分まで、入館料は大人430円です。
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館内の撮影は、フラッシュ撮影が禁止で、個人情報が載っているものの撮影も禁止です。
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1975年の引き揚げ作業の様子です。主砲塔の引き揚げですね。
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戦艦陸奥が沈没した地点を示した地図です。後で展望台に出て、この地図の示す地点を遠望します。
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展望台の横には野外展示場があり、引き揚げられた艦首の一部と副砲とスクリューが展示されていますね。観に行きます。
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これは艦首の一部です。陸奥の背艦首の最上部分(菊の御紋章が掲げられた部分)を高さ2.0m、長さ4.8m、幅5.0mに切断したものです。画像は左手に最先端部分があり、菊の御紋章の接着あとの半円が見て取れますね。陸奥の艦首か、すごいものが展示されているんだなと思いました。
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この画像で海上に見える島の一番手前にあって色の濃い島影が福良島、その右手に長島・続島がみえ、福良島の左手向こうにみえる一番大きな島が柱島、その左手奥に端島が見えます。
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陸奥記念館に展示してある陸奥沈没地点の地図と見比べますと、沈没地点は、この展望台からは画像右手の福良島までの距離とだいたい同じ距離か少し遠い距離で、画像中央の矢印板の先に見える端島の左端からやや左手の海域(ほぼこの矢印板の通りで、板の示す海域の左手)あたりですかね。戦艦陸奥の沈没地点を遠望します。さきほど陸奥記念館のビデオを観たときに「海ゆかば」が流れたのですが、この景色を見て、私は鎮魂の思いを新たにしました。時刻は13時30分、陸奥記念館を辞し、玖珂インターチェンジから高速に乗って帰路につきます。
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14時40分に玖珂インターチェンジから高速道路に乗って、すぐに眠気が出てきましたので15時55分に高坂PAで50分ばかりのトイレ・仮眠休憩を取り、19時15分、画像の宝塚北SAでトイレと仮眠休憩をとって20時40分の出発直後に給油をします。高坂PA以降は先手先手で休憩を取りましたので眠気を感じることなく運転を続けられました。17時から19時くらいが高速道路の交通量が多い時間帯で、21時を過ぎると車の交通量は時間とともにどんどん減ってきて快適なドライブを続けられます。
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NEOPASA浜松(上り)
23時30分に浜松SAに到着、フードコートでたぬきうどん・650円を食べます。ひと気の少ない夜のフードコートの席に座って食べるたぬきうどんの満足感は、なかなかのものです。もう浜松ですし、あとはいかようにも帰ることが出来ます。現在の目的地は「道の駅・ふじおやま」なので、高速道路を御殿場ICで降りるか、清水ICで降りるかと思っていたのですが、もっと手前の金谷島田ICで降りることにします。車に戻って1時間30分ほど仮眠して2時前に浜松SAを出発、金谷島田ICで降りると高速料金は10,160円でしたね。後は国道1号を走って、沼津から国道246号を走って「道の駅・ふじおやま」到着は4時ちょうど、仮眠します。
- 7日目2025年9月12日(金)
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道の駅・ふじおやまで3時間ちょっとの仮眠をして、8時30分に朝定食・700円を食べました。今回のドライブは、総走行距離が2,400km弱、ガソリン代が約25,000円、高速代は10,750円でした。神奈川県からの往復を高速道路を使って山口県までドライブする場合は、走行距離も短くなって宿泊も前2泊が減りますので、交通費+宿泊費は今回の旅行とあまり変わらないということになりますな。
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10時に御殿場市の市民プール・ふれあいプール玉穂にやってきて2時間ほど泳ぎ、神奈川の地元に帰って地元のプールで3時間ほど泳いで帰宅しました。さて、今回は神奈川から山口まで、一般道をドライブしながら温泉やらプールやらに立ち寄り、美味しいものも食べて、21年ぶりの津和野と萩及び初めて行った長門の仙崎では、森鴎外と吉田松陰と金子みすゞに出会って、いろいろ感じるものあり、食事付きで宿泊した3件のお宿もそれぞれ良かったし、満足感が大きい旅行になりました。神奈川から山口は、旅費も時間も多くかかりますので、そうそう行くことは出来ないが、山口県の中でもまだまだ行っていないところや時間をかけて滞在したい場所が私にはありますので、また山口行きを計画したいなと思っている次第です。
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