Shotaさんの愛知県〜滋賀県の旅行記
清洲城・稲沢・安土城址・坂本城下 ー 紅葉と新蕎麦と城址
- 1日目2025年11月26日(水)
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06:00-07:00
清洲城は、室町幕府管領、尾張守護職斯波義重が1405年(応永12年)頃に築城したとされる平城。この地点は鎌倉街道と伊勢街道の合流地点で、中山道にもつながる交通の要衝であった。『日本城郭大系 9』 現在の模擬天守は1989年(平成元年)に建設された。
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07:00-07:00
西溝口城址(稲沢市西溝口)
西溝口城は、応永期(1394-1428年)溝口勝政が築いた平城。現在は宅地になっている。
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07:00-07:00
矢合城址(稲沢市矢合)
矢合城は片原一色城主・橋本道一の弟、橋本大膳が築いたとされる平城。現在は尾張国分寺が建つ。
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07:00-07:00
尾張国分寺(稲沢市)
尾張国分寺は、1375年(永和元年)創建と伝わる臨済宗妙心寺派の寺院。薬師如来を本尊とする。
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08:00-08:00
片原一色城址(稲沢市片原一色町)
片原一色城は、南朝に属した武将・橋本伊賀守が応永期(1394-1428年)に築いたと伝わる平城。『日本城郭大系 9』
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08:00-08:00
イチョウ並木と黄色いジュウタン。せっせと銀杏を拾い集める人が・・・
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08:00-08:00
祖父江ぎんなんパーク
「祖父江ぎんなんパーク」は、「祖父江ぎんなん」ブランドの向上と「ぎんなん、歴史、健康」などをテーマにした交流の場。園内では、代表的な品種である「久寿(きゅうじゅ)」「藤九郎(とうくろう)」「栄神(えいしん)」「金兵衛(きんべえ)」のすべてを見ることができる。 ちょうど「ぎんなん祭り」の準備中…。
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08:00-08:00
祐専寺の大イチョウ(稲沢市)
祐専寺のイチョウは推定樹齢250年。高さ約20m、胸高囲3m。 太子山祐専寺は、1533年(天文22年)創建の真宗大谷派の寺院。阿弥陀如来を本尊とする。
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08:00-08:00
久治イチョウの原木(稲沢市)
久治イチョウは江戸末期にこの地へ植えられたと伝わる。収穫されたギンナンは「久寿」(久治)の品種名で生産されている。この樹はその原木である。
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09:00-09:00
霊通山徳源院は、1286年(弘安9年)京極氏の初代当主・京極氏信が柏原城址に創建した天台宗の古刹。京極氏の菩提寺であり、境内に京極家の墓所がある。
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09:00-09:00
徳源院
三重塔は、1672年(寛文12年)讃岐国丸亀藩主・京極高豊により建立。
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09:00-09:00
柏原城址(米原市)
柏原城は、京極氏の祖である氏信が本拠として太平寺城を築いて、この地に菩提寺清滝寺を建立、同時に居館としたことに始まる。『日本城郭大系 11』
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10:00-10:00
柏原宿は中山道60番目の宿場。1843年(天保14年)の『中山道宿村大概帳』によれば、宿内家数344軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠22軒で、宿内人口は1,468人。
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10:00-10:00
柏原御殿址(米原市)
柏原御殿は、徳川将軍上洛の際の休憩・宿泊施設として、いくつか築かれた御茶屋御殿の一つ。1600年(慶長5年)の関ケ原の戦いから間もない頃に造営されたとみられている。
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10:00-10:00
成宮家住宅(彦根市)
成宮家は、長崎に出店し小間物商を営むかたわら、江戸期には代々庄屋を務めた「住長」の分家。主屋と土蔵は、それぞれ明治期、大正期に建築されたものだが、近世建造物の特徴をよく表している。
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10:00-10:00
成宮家住宅
主屋は中山道を挟んで向かいにあった本家の主屋を1895年(明治28年)に曳家し、その後解体され「住長新家」として立て直された。
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10:00-10:00
専宗寺(彦根市)
洞泉山専宗寺は、1502年(文亀2年)および1536年(天文5年)の裏書のある開祖仏を有する浄土宗本願寺派の古刹。聖徳太子開創と伝わる。
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10:00-10:00
佐和山城下町外堀址(彦根市)
発掘調査で分かった佐和山城下外堀址。今も用水が流れている。
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11:00-11:00
山崎山城址(彦根市稲里町)
山崎山城築城の詳細は不明であるが、近江佐々木氏の庶流であったとされる土豪・山崎氏が城主であった。比高約50mの山崎山西部の山上に位置していた。
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11:00-11:00
肥田城址(彦根市肥田)
肥田城は大永期(1521-28年)に高野瀬隆重が築いた平城で宇曾川の南岸に位置した。土塁、堀が残る。『日本城郭大系 11』
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11:00-11:00
万葉歌碑(彦根市肥田)
「白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか眠を寝かねつる」と詠まれた歌碑が宇曾川土手に建つ。「白真弓の斐太の細江の菅鳥のように妻を恋するからか、私は寝られないことだ。」(現代語訳)
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12:00-12:00
越川城址(彦根市三津町)
越川城は、宇曾川を挟んで肥田城の対岸に築かれた高野瀬氏の支城で、久木氏が居城としていた。『日本城郭大系 11』 城址を示すものは見られない。
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12:00-12:00
旧柳原学校(近江八幡市)
この建物は、1876年(明治9年)高島郡新儀村(現・高島市新旭町)の初等科小学校校舎として建てられた。三階建で、一階は教室、二階は事務所、三階は鼓楼となっている。
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12:00-13:00
安土城は、1576年(天正4年)信長が安土山に築いた山城。安土山の先端部に古墳が築かれていること、立石・岩神・山ノ神あるいは薬師平・九品寺などの地名から、信仰の山として崇められていたようである。天守台、本丸、二の丸、三の丸、八角平、薬師平、黒金門址などが残る。『日本城郭大系 11』
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12:00-13:00
安土城址
信長が心血を注いだ安土城も、本能寺の変(1582年)によって暗転する。焼失については、6月14日、光秀が退城の時に火をかけたとも、翌15日に入城した織田信雄の兵が、明智の残党狩りのために城下に放った火が城に及んだともされている。『日本城郭大系 11』
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13:00-13:00
池田町洋風住宅街(近江八幡市)
近江八幡市池田町にある「ヴォーリズ建築群」 アメリカ人、ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年(明治38年)キリスト教の宣教を目的に現在の八幡商業高校の教師として来日。建築家としてこの地区に住宅群を建て、後には、山の上ホテル、大丸心斎橋店、関西学院大学など、全国に約1,600に及ぶ建築を手がけた。
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13:00-13:00
池田町洋風住宅
ヴォーリズはこの一角に、アメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルの建物を多く残している。
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13:00-14:00
手打ち蕎麦 鶴喜(大津市)
「手打蕎麦鶴喜」は1716年(享保元年)延暦寺の僧侶・鶴屋喜八が開いた「坂本そば」に始まる。現当主は十代目。 店の前には行列が出来ている。名簿に名前を書いて、蕎麦にありつくまでに40分。
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13:00-14:00
手打ち蕎麦 銀喜
まず「天ざる」をいただく。これは結構! つけ汁もいい塩梅。 一気にたぐった。
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13:00-14:00
手打ち蕎麦 銀喜
温かい蕎麦も食べてみたくて、「きつねそば」をお願いした。これも美味い! 大満足!
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15:00-15:00
坂本城は、1571年(元亀2年)、比叡山焼き討ちのあと、信長が宇佐山城の守将・光秀に滋賀郡の支配を命じ、築かせた平城・水城。『日本城郭大系 11』 琵琶湖畔に城址公園が整備されている。
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15:00-15:00
坂本城址
坂本城の地形は、西側は比叡山の山脈が真近にせまり、東側は琵琶湖に面していることから、天然の要害を具えていた。『日本城郭大系 11』
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15:00-15:00
坂本城址
光秀の石像と傍らに、「光秀の意地」を詠った歌碑が建つ。
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15:00-15:00
穴太地蔵堂(大津市穴太)
穴太地蔵堂 本地蔵は、北国街道が滋賀から穴太へさしかかる曲がり角に位置したため「まわり地蔵」と呼ばれ、また村の入口で病いや災難が入り込まぬよう守ってくれる「延命地蔵」とも呼ばれた。
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15:00-15:00
穴太衆積み石垣(大津市坂本)
残っている穴太衆積みの石垣 穴太衆は比叡山山麓の穴太の出身で、古墳期に朝鮮半島から渡来した古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。安土城の石垣を施工したことで、全国の藩に召しかかかえられ、城石垣等を施工するようになったとされる。 江戸初期の阿波屋喜兵衛を祖とする粟田家は、今も会社組織として存続し、各地の城壁の修復を手がけている。
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15:00-15:00
穴太商店本店 石積みソフト(大津市坂本)
石積みソフト 穴太衆の末裔が店主の「穴太商店本店」ではスイーツやパン、甘酒などと共に、穴太衆の石積みをイメージした「石積みソフト」提供している。
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16:00-17:00
戒光山西教寺は飛鳥期、聖徳太子により創建とする伝説がある、天台真盛宗の総本山。阿弥陀如来を本尊とする。この総門は坂本城の城門を移築したもの。
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16:00-17:00
西教寺 境内図
境内図 総門をくぐると色とりどりの紅葉が迎えてくれる。参道の両脇には、計六か寺の子院が並ぶ。
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16:00-17:00
西教寺 参道
参道脇の黄葉と紅葉。小雨にぬれていっそう鮮やか!
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16:00-17:00
西教寺 宗祖大師殿 唐門
宗祖大師殿の唐門 宗祖大師殿は1878年(明治11年)建立。入母屋造、桟瓦葺、正面軒唐破風付で堂々としている。唐門は1917年(大正6年)建立の木造四脚門。瓦葺の間口4.2m。
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16:00-17:00
西教寺 本堂
本堂は、1739年(元文4年)上棟。桁行七間、梁間六間、向拝三間、出組二間の大型建築である。各柱間の蟇股も多彩。
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16:00-17:00
明智光秀墓所
本堂脇にある明智光秀の墓 1571年(元亀2年)信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被る。その直後に築かれた坂本城城主となった光秀は、寺の檀徒となり復興に力を注いだ。
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16:00-17:00
芭蕉句碑
墓のそばに「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」と詠んだ芭蕉の句碑が建つ。
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16:00-17:00
西教寺
本堂から裏参道に向けて滑らぬようにゆっくり下りていく途中、くびをかしげた可愛いお地蔵さんに出逢った。こころがホッコリ・・・。
清洲城・稲沢・安土城址・坂本城下 ー 紅葉と新蕎麦と城址
1日目の旅ルート
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