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宿番号:302248

全室独立バスルーム◆18平米〜のゆったり客室◆京の朝食ビュッフェ

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ホテルグレイスリー京都三条のお知らせ・ブログ

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  • 「ときは今 あめが下知る 五月かな」

    更新 : 2022/6/21 9:21

    天正10年(1582年)6月2日は、天下統一を目指していた織田信長が家臣の明智光秀に本能寺にて討たれた「本能寺の変」の起こった歴史的な日。旧暦の6月2日は、今の暦で言うと本日6月21日です。
     先日、京都乙訓ふるさと歴史研究会様主催の明智光秀が兵をあげた亀岡の丹波亀山城から、旧山陰道を歩いて本能寺へ向かうイベントに参加してきました。夜行軍にて21:15頃に丹波亀山城大手門跡からスタートし、討ち入りの際に隊列を整えたと言われる篠村八幡神社にて参拝。唐櫃越えの道と2説あるうちの老ノ坂峠越えのルートにて進み、酒呑童子伝説の首塚大明神に寄って、中国攻めに向かうところを急遽洛中へ向かったともいわれる旧山陰道の分岐・沓掛を越え、当時は、渡河したと言われる桂大橋を過ぎて現在の堀川高校の北東側にある本能寺跡まで約23キロの道のりでした。到着は早朝4:30頃。
     歴史研究会の方にガイドしていただきながら20名ほどの一団でしたが、実際には1万3千人といわれる大軍での移動。実際のルートをたどっていくと、時代が違うとはいえこのような景色を見ながら行軍したのだなと思いを馳せることができます。明智軍は、この後本能寺に討ち入り、そのまま当日中に滋賀県の坂本城まで行軍したとのこと。軽装での参加でしたので私は大丈夫でしたが、具足をまとっての移動は大変だったであろうなと思います。
     京都は、古代から明治維新など歴史の様々な時代の節目をたどっており、見どころはたくさんあります。ぜひ、京都に足をお運びください。
     上記のイベントの様子が6/16・17の京都新聞洛西版にて紹介されました。(K)

    旧山陰道にある山城國と丹波國の分岐点

    本能寺跡に建つ碑(実際の敷地内ではないそうです)

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