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源泉の宿 萩本陣のお知らせ・ブログ
吉田稔麿(よしだとしまろ)誕生の地
更新 : 2013/10/22 11:55
松陰神社より歩き始めてまもなく左側の民家の脇にひっそりと碑が建っているのに気づきます。
車だと見過ごしそうな碑です。
1841年(天保12年)、足軽の長男としてこの地に生まれ、松下村塾に入門しました。高杉、久坂、入江と併せて松陰門下の四天王といわれました。
松陰の死後、尊皇攘夷運動に参加し、屠勇隊(とゆうたい)という有志の舞台を組織しました。
1864年(元治元年)、京都の池田屋旅館で新選組に襲われ負傷し、24歳の若さで死去しました。歴史上では池田屋の変と言われています。
萩本陣から徒歩約10分
この散策コースは、静かな道です。そして、この地が昔より庶民のまちであったことがおわかりになると思います。特に、萩城跡近くの高杉晋作旧宅、菊屋家住宅、門田益田氏旧宅土壁等の城下町周辺を歩かれた方は、道の雰囲気が全く違うことに気づかされることでしょう。この庶民の町に吉田松陰は生まれ、松下村塾がありました。
松下村塾(松陰神社内)から吉田稔麿(よしだとしまろ)の誕生の地の碑を過ぎて、伊藤博文旧宅へ向かう途中の風景です。静かな道で、左奥には、松陰神社の森が見えます。
この道を散策していますと、当時の松下村塾のこと、当時の志士や、今の世のこと、自分自身のこと、将来のことを考えながら歩いている自分に気づくことがあります。
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