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大寧寺の紅葉と冷泉隆豊の最期 その2
更新 : 2010/11/20 19:39
〜山口県立萩美術館・浦上記念館で開催中の浮世絵展示【武者絵】から〜
【 見よや立つ雲も煙も なかぞらに 誘ひし風の末(陶)も残らず 】
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さて、室町時代に話を戻して…。
経蔵に入って腹を十文字に切った隆豊は、引き出したはらわたを天井に投げつけ息絶えます。
そして、「陶よ、お前もまた遠からずして、このような最期を遂げるのだ!」と怒りを込めて詠んだ辞世の句、「見よや立つ雲も煙もなかぞらに誘ひし風の末(陶)も残らず」の通り、4年後の弘治元年(1555年)、陶晴賢もまた毛利元就によって滅ぼされるのです。
【現代の大寧寺】
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大内義隆最期の地となった大寧寺は、萩市から西へ30km、お隣の長門市にある、今年開創600年を迎えた曹洞宗の寺院です。
(ろっぴゃくねん! それを考えると、龍馬・晋作の時代が益々つい最近のことのように思えたり…。)
この時の戦いで寺は全て焼け落ち、その後、再建・移築を経たのが現在の姿ですが、大寧寺へと落ち延びてきた義隆が、兜を取って髪を整えようと覗き込んだ「姿見の池」や「兜掛けの岩」が今も残ります。
その時、池に彼の姿は映らず、義隆は己の運命を悟ったのだといいます。
裏山には大内氏主従の墓があり、そこへ登る途中に経蔵の跡も示されています。
春は桜、秋は紅葉の名所でもある大寧寺。今年も見頃を迎えています。
450年も前の戦国時代を思う時、紅葉の色もより鮮烈に私たちの目に映るかもしれません。
…その3[交通案内]へつづく。