「鬼島津」と恐れられた島津義弘!!!
更新 : 2012/8/7 5:57
島津義弘の有名なエピソード「島津の退き口」☆☆☆
関ヶ原の合戦で、東軍と西軍の間で一進一退の攻防が続いたが、
小早川秀秋の寝返りにより、西軍の中で奮戦していた石田三成らが総崩れとなり、
敗走を始め、島津軍は退路を遮断され、敵中に孤立する八方を東軍に囲まれた...
絶体絶命のピンチを前に、義弘は敵の大軍の中を中央突破することを決意し、
先陣を島津豊久、右備を山田有栄、本陣を義弘という陣形で敵中への突撃を開始っ!
この時、島津軍は主君である義弘を守るため、何人かが留まって戦い敵の足止めをし、
それが全滅するとまた新しい足止め隊を残すという壮絶な戦い方をしたっ!
結果、豊久や義弘の家老・長寿院盛淳らが戦死し、多くの将兵も犠牲になったが、
東軍も井伊直政や松平忠吉の負傷によって追撃の速度が緩み、敵中突破に成功っ♪
生きて薩摩に戻ったのは、最初の1500人のうちわずか数十名だった...
義弘率いる島津軍の行動は、敵である東軍からも賞賛された〜っ♪