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葉隠館のお知らせ・ブログ
葉隠入門No2
更新 : 2009/6/15 17:47
つづき
第四にこのような説がある。徳川時代の鍋島公の居城佐賀は、木が多いので一名「葉隠城」と呼ばれ、またそこの藩士を「葉隠れ武士」と呼ぶようになった。それが「葉隠」のもとであると云う説もあるが、事実、佐賀城は堀の隅に大木が繁って木につつまれたような城ではあるが、佐賀の出身者はこれを「葉隠城」と呼んだことは知らないと言っているので、これも憶測に過ぎない。と三島由紀夫は書いている。
「葉隠聞書」という本はそもそも座談の筆記で、佐賀藩士山本常朝が主君鍋島光成(第二代藩主)が亡くなった後出家し、草庵をむすんで隠遁生活にはいった。それから十年後の宝永七年(一七一〇年)の春に、若い佐賀藩士田代陣基という人が草庵を訪ね、語るとこをを筆記し、七年の歳月をかけ十一巻に編纂したものを「葉隠聞書」と呼んだ。
第一巻は(聞書第1)、第二巻(聞書第2)は常朝自身の教訓で、第三巻、第四巻、第五巻は、鍋島直成(藩祖)勝成(第一代藩主)光成、綱成などの言行である。第六巻から第九巻までは佐賀藩士のこと、および佐賀藩士の言行である。第十巻は他国の武士の言行であり、第十一巻は前十巻の補遺に当たっている。
結局、この本の中心をなすものは第一巻、第二巻の常朝の教訓の言葉で、ここに彼の思想が躍動しているわけである。
これから先は「葉隠」名言抄(笠原伸夫訳)として「聞書」を書いていきたいと思う。