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宿番号:308304

阿蘇の大自然に包まれた歴史と伝統の火野葦平ゆかりの宿

杖立温泉
JR久大本線日田駅よりバス杖立温泉行き40分九州大分道日田ICより国道212号線阿蘇方面へ約30分。

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    葉隠入門No3

    更新 : 2009/6/15 17:48

    聞書第一

    「武士道といふは、死ぬことと見付けたり」

     武士道といふは、死ぬことと見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり。我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし。若し図にはづれて生きたならば、腰抜けなり。この境危ふきなり。図にはづれて死にたらば、犬死気違いなり。恥にはらず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。

    (訳)武士道の本質は、死ぬことだと知った。つまり生死二つのうち、いずれを取るかと言えば、早く死ぬことを選ぶと言うことに過ぎない。これと言って面倒なことはないのだ。腹を据えて、余計なことは考えず。邁進するだけである。”事を貫徹しないうちに死ねば犬死だ”などと言うのは、せいぜい上方風の思い上がった打算的武士道と言える。とにかく二者択一を迫られたとき、絶対に正しいほうを選ぶと言うことは、大変難しい。人は誰でも、死ぬよりは生きるほうが良いに決まっている。となれば、多かれ少なかれ、生きる方に理屈が多くつくことになるのは当然のことだ。生きる方を選んだとして、そればもし失敗に終わってなお生きているとすれば、腰抜けとそしられるだけだろう。このへんがむずかしいところだろう。
     ところが、死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んだとしても、それは犬死、気違いだとそしられようと、恥にはならない。これが、つまりは武士道の本質なのだ。とにかく、武士道をきわめる為には朝夕くり返し死を覚悟することが必要なのである。常に死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉仕尽くすことができようというものだ。

       
     「う〜む」むずかしい。武士道は・・・・・。

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