宿番号:308304
葉隠館のお知らせ・ブログ
葉隠入門No6
更新 : 2009/6/17 9:13
「批判の仕方」
人に意見をして疵をなおすと云うは大事なることにして、然も大慈悲にして、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることになり。およそ人の上の善悪を見出すは易き異なり。それを意見するもまた易き事なり。大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力に及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。ただ徒に、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり。そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂になり、此方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などに引き入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考え、或は文通、或は雑談の末などの折に、我が身の上の悪事を申出し、云はずして思ひ当たる様にか、又は、先づよき処褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲む様に請合わせ、疵を直すが意見なり。されば殊の外仕にくきものなり。年来の曲なれば、大体にて直らず。我が身にも覚えあり。諸朋輩兼々入魂をし、曲を直し、一味同心に主君の御用に立つ所なれば御奉公大慈悲なり。然るに、恥をあたへては何しに直り申すべきや。
(訳)意見してその人の欠点を直す、と言う事は大切なことであり、慈悲心とも言いかえられる。それは、ご奉仕の第一の要件である。
ただ、意見の仕方に骨を折る必要がある。他人のやっている事に対して善悪をさがし出すと言う事はやさしいことで、また、それについて批判する事もたやすい。おおかたの人は、人の好かない、いいにくい事を言ってやるのが親切のように思い、それが受け入れなければ、力が足りなかったとしているようだ。こうしたやり方はなんら役立たずで、ただいたずらに人に恥をかかせ、悪口を言うだけのことと同じ結果になってしまう。言ってみれば気晴らしのたぐいだ。
意見というのは、まず、その人がそれを受け入れるか否かをよく見分け、相手と親しくなり、こちらの言うことを、いつも信用するような状態に仕向けるところからはじめなければならない。その上で趣味の方面などからはいって、言い方なども工夫し、時節を考え、あるいは手紙などで、あるいは帰りがけなどに、自分の失敗を話だしたりして、余計なことは言わなくても思い当たるように仕向けるほうがよい。