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沖縄の世界遺産のご紹介1:今帰仁城跡(その2)
更新 : 2020/3/2 16:31
はいさい!「琉球ナビゲーター」の儀間です。
前回は北山王国の居城であった「今帰仁城」の歴史をご紹介しました。
今回は実際に今帰仁城跡を散策しながら、見どころをご紹介してゆきます。
城門脇でチケットを切ってもらい城内へ入りましょう。
入口の門を「平郎門」といいます。復元ではありますが、石造りの立派な門です。
全て石造りであることは他の城址の門と同じですが、他の城跡と異なっているのが入口がアーチ型ではなく、四角だということです。
門をくぐると真っすぐの石段が続きます。
実はこの石段は沖縄戦後に米軍が城内に車両を入れるために整備した道路がもとになっていますので、元々はありませんでした。
石段の両脇には「ヒカンザクラ」が植えられ、1月下旬ごろには桃色の花のトンネルができます。
石段を登り、左回りに行きましょう。大奥にあたる「御内原(うーちばる)」と呼ばれる場所に出ます。
ここからは東シナ海が美しく望めます。眼下には城壁の連なり、沖縄の「万里の長城」とも言われている風景が望めます。
城内一のビューポイントです。
さらに右回りに進むと、石積みで囲まれた場所があります。前回紹介しました「御嶽(ウタキ)」です。城の守り神とされていた場所です。
御嶽の中心には岩が安置されていることが多く、この岩を「イビ」と言います。
今帰仁城がいよいよ落城する時、時の城主は「城と一族を守ってくれなかった。」として、
持っていた刀で「イビ」に切りかかり、同じ刀で自刃しようとしますが、刀は主人を傷つけることを拒みます。
最後の城主はその刀を城壁の下を流れる川へ投げ込み、他の刀で自刃して果てます。
この時の刀はその後中山の尚巴志の軍に拾われ、「宝剣」として琉球王家に引き継がれ、
現在でも日本の国宝として那覇市歴史博物館に収蔵されています。
正殿の遺構跡を通り過ぎると、一段低くなった郭へ降りることができる石垣の切れ目があります。
ここからは石垣の構造を間近に見ることができあます。
一段低くなった郭は「志慶真門郭」と言い、北山王に身近な人や有力な家臣が居住していた場所と伝えられます。
城内を一回りして石段上の入口に戻ると、左手に荒々しい岩が露出した通路があります。
これが平郎門から城内へ続く元々の通路です。これをゆっくり降りて管理センターに戻りましょう。
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