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沖縄の世界遺産のご紹介2:座喜味城跡
更新 : 2020/3/4 14:50
はいさい!「琉球ナビゲーター」の儀間です。
前回ご紹介した今帰仁城は中山王国の尚巴志によって滅ぼされました。
その時の中山の軍勢の有力な武将に「護佐丸」という人物がいます。
護佐丸について紹介しておきましょう。
まず、牛若丸や蘭丸など「〇〇丸」という名を持つ沖縄の歴史上の人物は多くありません。(他には第二尚王統の祖である金丸ぐらいです。)
「〇〇丸」という日本風の名前の人物は、日本本土から渡ってきた製鉄など特別な技能を持った人で、護佐丸もその一人という説があります。
もともとは沖縄本島中北部、現在の恩納村の山田に城を構える豪族でしたが、
その後中山の尚巴志の勢力下に入り、北山攻撃の陣に加わりました。
北山は滅亡しましたが、なお、沖縄本島北部地域には中山に抵抗する勢力は残存・潜伏していましたし、
さらに日本本土からの侵攻の恐れがあったため、それらに対応するため尚巴志は
現在の読谷村に築城の名手でもあった護佐丸に城を作らせ、その守りにあたらせます。
それが「座喜味城」です。
今帰仁城など、これまでの城は最初に紹介した「御嶽」に起源をもつものが多いのですが、
座喜味城は最初から防衛の目的で場所が選ばれ築城されたので、沖縄の城に珍しく城内に御嶽がありません。
座喜味城は護佐丸が築城した城の中でも当時の姿が良く残り、美しい姿を今に伝えています。
美しい曲線を描いた城壁が目を引きます。
沖縄の城らしく、城内へ入る門は石組みのアーチ門になっています。
そのアーチの合わさる部分に嵌め込まれた石を「楔石」と言いますが、沖縄の他の城には見られない形状から、
座喜味城のアーチ門は現存する最古のアーチ門と考えられています。
2つの郭からなる小さな城ですが、城壁はその上を自由に移動できるほど厚みがあり、立派なものです。
築城年代と築城の目的がはっきりしている座喜味城は、沖縄の石造建築物文化を理解する上でも重要な場所です。
今後、紹介する世界遺産でも護佐丸の名は頻繁に登場しますので、「護佐丸」という名前を覚えておくと、より一層沖縄の世界遺産めぐりが楽しめます。
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