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沖縄の世界遺産のご紹介5:首里城跡(その8)
更新 : 2020/4/7 12:30
はいさい!「琉球ナビゲーター」の儀間です。
首里城の南殿と正殿の間から東側に数段登った場所に国王が執務する「書院」があります。
畳が敷かれた和室ですが、この部屋の上がり框は2段になっており格式の高さを感じさせます。
本土の和室と首里城の和室に一か所大きく異なる点があります。
床の間が設えられている和室では通常、天井の桟は床の間に平行になっています。
しかし、国王の執務室である「書院」の天井の桟は床の間に垂直になっています。
江戸時代以前の武士の館で和室で天井の桟が床の間に垂直になっている部屋が一か所だけあります。それは「切腹の間」です。
和室で重要な床の間に天井の桟が垂直になっているのは「切腹」を想像させるため通常の和室ではこのような作りにはなりません。
また別の回で紹介しますが、琉球王国時代の建物の和室の天井の桟は床の間に垂直になっている場合が多くあります。
その理由について残念ながら私はまだ聞いたことがありません。
書院の隣に渡り廊下でつながった「鎖之間(さすぬま)」があります。ここは、皇太子が使用した部屋です。
火災前は首里城でお客様をもてなす場合に供されていた茶菓を体験できる設備がありました。書院と鎖之間の間には庭があります。
ご存知のように沖縄戦で首里城は甚大な被害を受けました。前回の復元の助けになったのは戦争前に撮影されていた写真の数々です。
その写真を見ると、樹々の形まで精巧に復元されていたことがわかります。
またこの庭園は同じように世界遺産に指定されている「識名園」をとともに「琉球庭園」の様式を今に伝える重要な場所でした。
書院をぐるりとまわると、奥に炉がきられた場所があります。意外かと思いますが、琉球王国の士族たちは「茶の湯」の嗜みが必須でした。
豊臣秀吉は農民などから刀などの武器を取り上げる「刀狩」を行いましたが、
それに先んずること60年以上前に琉球王国では王府によって武士たちからも刀を取り上げました。
琉球王国の士族の肖像を見ても帯刀していません。
武術の鍛錬をどのように行っていたかは浅学のためよくわかりませんが、
琉球王国の士族にとって出世に必要な技能といえば、「茶の湯」や和歌などの「歌道」、
それに舞いや音楽などの「舞楽」であったと言われています。
首里城の話題は尽きませんね。続きは次回で。
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