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世界遺産「今帰仁城址」
更新 : 2023/9/20 21:39
はいさい!「琉球ナビゲーター」の儀間です。
以前、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のグスク(城)を「勝者側のグスク」と「敗者側のグスク」にわけて、
その敗者側のグスクから「勝連城」をご紹介しました。
今回はその続きで敗者側のもうひとつのグスク「今帰仁城」をご紹介します。
沖縄の文化・歴史を知る上でキーワードを二つご紹介します。
一つ目はこの「城(グスク)」でもう一つは「御嶽(ウタキ)」です。
御嶽(ウタキ)とは聖域のことで、世界遺産として有名な「斎場御嶽(セーファーウタキ)」などがあります。
ほとんどのグスクはその敷地内にウタキを持っています。
ウタキとグスクの関係がよくわかるのが「今帰仁グスク」なのです。
今帰仁グスクの立派な石門「平郎門」から城内に入ると、まっすぐ石段が延びています。(実はこの石段は沖縄戦後に作られたのもです。)
石段を登りきり、時計回りに歩いていくと低い石垣に囲まれた場所があります。これがウタキです。
今帰仁グスクにはこのようなウタキがいくつかあり、その中でもっとも重要なのが「テンチジアマチジ(城内上の御嶽)」というウタキです。
15世紀前半の沖縄本島には「北山」、「中山」、「南山」の三つの王国がありました。
この北山王国の中心が今帰仁城です。
1416年に中山王国の尚巴志は北山王国を攻めます。
実際に今帰仁城へ行かれるとわかると思いますが、今帰仁城は急峻な懸崖に守られた難攻不落な城です。
尚巴志は攻めあぐねますが、権謀術数を駆使し城内に攻め入ります。
最早これまでと覚悟を決めた北山王「攀安知(はんあんち)」は、自身と北山王国を守護してくれなかったとして、
自らの愛刀で先ほど紹介したウタキ「テンチジアマチジ(城内上の御嶽)」の中央の石を切りつけます。
そして愛刀で自害しようしましたが、刀は自身の主を傷つけることを拒み自害することが出来ません。
「攀安知(はんあんち)」は刀を崖の下の川に投げ捨て、別の刀で自害します。
この北山王国滅亡の歴史を「テンチジアマチジ(城内上の御嶽)」は今に伝えています。
今帰仁グスクの歴史はいかがでしたか?
歴史を知ったうえで見学すると感慨も深くなるかと思います。
今度今帰仁グスクに行かれた時はこの話を思い出しながら「テンチジアマチジ(城内上の御嶽)」というウタキを見学してください。
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