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  • ●アパホテル〈秋葉原駅北〉歴史

    更新 : 2020/10/20 17:50

    こんにちは!アパホテル〈秋葉原駅北〉です。

    今回は、秋葉原が「電気街」として有名になった歴史についてご紹介したいと思います。
    秋葉原が電気街になったのは戦後のことです。 終戦の時は焼け野原で、下町ということもあり、露天商の闇市がたくさんできました。この付近にたまたま東京電気大学の前身となる専門学校があって、 その当時学生たちが闇市からラジオの部品を買い集めてきて、完成品のラジオにして売るというアルバイトをしたら、これが大変ヒットしたということがあり、そのような電機部品関係の露天商が秋葉原周辺に集まってきたわけです。
     ただ、当時日本を占領していたGHQが、道路拡幅をするために「露天商撤廃令」という条例をつくろうとしました。そこで露天商のひとたちが団結してGHQに陳情しに行ったところ、 当時の国鉄と東京都が温情策として、秋葉原駅に隣接するの高架線路の下の空間があるからそこに集まって商売をしなさい、と場所を与えたのですが、それが”秋葉原”です。
     ただでさえ集中していた電気商がさらに凝集して、「ラジオデパート」という、今もなお続く部品商の区画の前身になっていきました。さらに廣瀬無線という地方の流通に力を持っていた問屋があったことから、全国から電気店の人たちが仕入れに来るようになって、秋葉原は問屋街になっていったわけです。

     さらにGHQの支配から抜けて、戦後の家電ブームが起こると(三種の神器などという言葉が歴史の教科書に載っていますが)、問屋がだんだん小売商に商売替えしていって、ピークの時には全国の家電市場の一割を担うほどの、一大電気街になったのです。

    電気街として有名になった裏には、長い歴史があったのだと学ぶことができました。

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