宿番号:312166
鷹山が取り組んだ教育
更新 : 2014/7/8 22:53
米沢藩の武士たちは、減封に伴うあまりの貧しさに、
信義を見失い恥を恥とも思わぬ行いをするようになっていました
鷹山は、領民の良き指導者となる人材の育成と、
身分や上下関係を認識してそれぞれに与えられた使命を全うさせるため、
四代藩主綱憲が建て、その後財政難によって閉鎖された学館
細井平洲命名の「興譲館」を再興しました
興譲館からは多くの優秀な人材が育ちました
改革に関する提言を行うなど改革推進に努める者、
耕地の手入れや肥料の作り方や農業技術などの、
現状と指導強化の指摘の農業奨励の建議書を藩に提出する者・・・
鷹山は学問の奨励を改革の柱の一つと考えていました
学問こそが武士の正しい道であり、自己を磨く方法だと認識し、
家臣や一族に教育の心得について指示を与えた書を贈るなど
学問を奨励したのです
関連する周辺観光情報