上杉鷹山公〜なせば成る なさねば成らぬ何事も〜
更新 : 2015/9/1 17:46
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬ成りけり」
米沢藩第9代藩主・上杉治憲(上杉鷹山)の名言にございます。
鷹山公は、ケネディ元アメリカ大統領が最も尊敬する日本人政治家として知られております。
寛延4年7月20日、日向国高鍋藩主の次男として生まれました。幼名、直松。
宝歴10年、米沢藩第8代藩主・上杉重定の娘幸姫の婿養子となり、元服の際に名を治憲としました。
明和4年、17歳で家督を継ぎ、米沢藩第9代藩主となった治憲公は、莫大な借財を抱えて傾いた米沢藩を救う為、「大倹約令」を発令、役人の贅沢や無駄を正す事から藩政改革への第一歩を踏み出しました。重役の一部からは、米沢藩の対面に関わると強い反対を受けましたが、治憲公は率先して節約を実行。その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくのです。
産業に関しては、もともと米沢藩の特産品であった青苧を使い、武士の婦子女に内職として機織りを習得させました。その後、桑の栽培と養蚕を奨励し、絹織物に移行。出羽の米沢織として全国的に知られるようになりました。米沢織は現在も米沢の主要産業になっています。
「学問は国を治めるための根元」であるとの強い考えを持っていた治憲公は、安永5年、城下の元篭町に藩校「興譲館」を創設。創設に当たっては、師である細井平洲の意見を求めました。
天明5年、治憲公は35歳という若さで家督を譲り、隠居。その際に君主としての心得を記した「伝国の辞」を冶広公に残しております。
隠居後も逝去まで貢献藩主を後見し、藩政を実質指導。
隠居後は、側室・お豊の方と共に餐霞館に移りました。享和2年、剃髪し、鷹山と号す。
文政5年、死去。享年72。墓所は米沢市御廟の上杉家御廟にございます。
今月26日と27日の2日間。山形県米沢市でなせばなる秋まつりが開催されます。
昨年のブログでもご紹介致しましたが、上杉鷹山の「なせばなる」のチャレンジ精神を大切に、今を生きる私たちが米沢市民の心を様々な催しで表現し、後世へ伝えていくお祭りでございます。
当日は米沢ゆかりの偉人達が練り歩く米沢時代行列。棒杭市、米沢どん丼まつり、ステージイベントなど催しが目白押しでございます。昨年はアメリカ大使館のキャロライン?ケネディ大使が来られ、盛大に盛り上がりましたよ。
今年も盛り上がる事間違いなしのお祭り。皆様も機会がございましたら足を運んでみて下さいね。
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