常磐うぐいす谷温泉
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◆横浜の港で何を想う?「赤い靴の少女」の正体とは◆
更新 : 2019/5/29 16:41
こんにちは♪
うぐいす谷温泉竹の葉です。
今日はここ数日の暑さが嘘のようにひんやりとしたお天気の北茨城です(;^^)
ところで、皆様は「野口雨情」をご存じでしょうか?
♪七つの子 「からす なぜ鳴くの♪」
♪赤い靴 「赤い靴 はいてた 女の子♪」
♪シャボン玉「シャボン玉 とんだ 屋根まで とんだ♪」
耳慣れたフレーズですよね(^^)/
これらの有名な童謡を作詞したのが、他ならぬ野口雨情なのです。
さて本日は、北茨城市磯原を代表する
童謡詩人・野口雨情の作詞した『 赤い靴 』の謎に迫ります。
o0O○O0o。o0O○O0o。
明治15年、北茨城に生まれた雨情は、その後多くの作品を残しています。
色々あった人生の一時期、雨情は北海道で新聞記者として勤めていました。その頃、同僚の鈴木志郎一家と親交を深めます。
その出会いが、童謡『 赤い靴 』を生んだとされています。
♪赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった
横浜の 埠頭から
船に乗って
異人さんにつれられて
行っちゃった
童謡なのに切ない歌詞が、子供心に印象的だったことを思い出します。
さて、この「赤い靴をはいた女の子」は実在の少女でした。
それが、鈴木志郎の妻・かよの娘「きみ」ちゃんです。
雨情が出会った頃には、かよときみちゃんは既に別々に暮らしていました。
静岡から北海道へ辿り着いたかよは、志郎と共に開拓農場への入植を決意します。しかし過酷な暮らしを危惧したかよは、きみちゃんを函館のアメリカ人宣教師の元へ託していったのです。
離ればなれになったかよときみちゃん。
かよは雨情にそんな娘の話をしたと言います。
「きみはきっとアメリカ人夫婦に連れられて、横浜の港から異国へ旅立ち、幸せに暮らしているのでしょう。」
かよはもちろん、その話を聞いた雨情もそう思ったのでしょう。
ですが、きみちゃんは6歳で結核を患い、宣教師夫婦と共にアメリカに渡ることは出来ませんでした。東京麻布の孤児院に預けられたきみちゃんは、9歳という短い生涯を閉じました。
かよは死ぬまできみちゃんの死を知ることはありませんでした。
「きみちゃん、ごめんね」と言い残し、64歳で亡くなっています。
母の娘を想う気持ちを詠んだ、雨情の『 赤い靴 』。
天国で親子は再会し、笑顔で過ごしていることを祈っています(-人-)
横浜の海を見つめながら、何を想っているのかな?
野口雨情ゆかりの地・北茨城で歴史に触れてみて下さい。
当館から徒歩20分・車で5分の所には「野口雨情記念館」と「野口雨情生家資料館」がございます。
生家では、たまに曾孫の不二子さんがお話をして下さいます(^^♪
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