宿番号:313188
大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
「一粒で二度おいしい...」
更新 : 2007/10/18 10:38
当館の応接室(ロビイともいいますが…)に、額装の一書があります。
この書は書道家でもあった先代の父が、友人である兵庫県の書道家・長久大徳先生(故人)から贈られたものなのですが、その贈られた方の父も一昨年、他界しました。
さて、応接室というお客様の多く集まる場所に掲げてあるこの一書。
書体は篆書で、「隙駒(げきく)」と読む… 「隙」とは、山と山の谷間を想像すればよく、その間を白い馬が走り抜ける… 人の一生は… 白駒が隙をゆくが如し…
…くらいまでは、先代である父親に聞いていたのですが、深い意味までは聞いていません。「短い人生、夢幻…のようなもの…」か?
禅語か、仏教の中の言葉か、「まあ、そのうち調べよう…」とタカを括っていたのです。
ところが、はたと気づけば、詳しい意味が説明できるものがいなくなってしまったのには、正直困りました。
さて、昨夜、たまたま、花のことを調べている中で、その中の一冊、『中国瓶花といけばな・(細川護貞著)』を読んでいて、この言葉を偶然発見しました。
こういうのは得した気分になりますね。「一粒で二度おいしいキャメル」に当たったようなものです(古いCMのキャッチコピーでした。すみません、<(_ _)>)。
余談はさておき、
中国・宋(960〜1260)時代の人。趙希鵠の『洞天清録集』に出てくる言葉ということです。
曰く...
『人の一生は白駒の隙を過ぎるようにあわただしく過ぎ去ってゆく。しかも風雨憂愁はその三分の二を占めている。(略)目を楽しませるには色のみと限らず、耳を楽しませるには楽ばかりとはかぎらないということを、これ等の人は少しも知らない。法書名画、古琴旧硯の楽しみもまたよいものである。明窓清几に飾りつけ、香をくゆらせ、心の清い友と相映ずる。ときには古人のよき筆跡をとって鳥篆蝸書を鑑賞し、鐘鼎をとって目の当たりに商周を想いうかべる端硯には厳泉が湧き出で、琴は玉佩刀をならせば、浮世のわずらいも忘れてしまう。清福を享受するにはこれに及ぶものはないであろう。(本文より引用)』
どうやら、「隙駒」とは、めまぐるしく、あわただしく夢を見るようにすぎてゆく人の一生… その続きがあったようで... そのような日常のなかでも、名画、名書などを愛で、友と語り合える時間を持てよ、その幸福に及ぶものはないぞよ …ということらしい。