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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
延命寺「夕照の楓」
更新 : 2007/11/21 3:26
夕方から某会合に出かける予定だったのですが、急な来客があり遅刻…
会合の主催者に遅刻する旨連絡して、急な訪問を待ち、接客を終えて、すぐ出発しました。…が、その頃にはすでに一時間の遅刻。
「え〜い!遅刻ついでに、行先の途中にある、紅葉の延命寺に立ち寄ろう!」とハンドルはいつしか寄り道コースへ…
延命寺は大阪府河内長野市の真言宗御室派の寺院。弘仁年間(810〜824年)、空海が地蔵の石仏を刻んで本尊としたのが当寺の始まりとされています。
江戸時代、悉曇(しったん)の権威である浄厳和尚が高野山に修行ののち中興し、薬樹山延命寺と号し、現在に至るといい ます。悉曇(しったん)とは、聞きなれない言葉ですが、ようするに仏典を相伝ではなく、サンスクリット語などの原典から解読し研究してゆく態度であり、浄厳和尚は江戸期においてその権威であったといいます。
延命寺へは、南天苑から車で約10分。徒歩なら急ぎ足で2時間弱、物見遊山で約3時間…
境内をほんのわずかに区画した遠慮がちな駐車場に降りれば、すぐに樹齢千年の『夕照の楓』が目に入ります。氷雨の降る曇り空に夕照の楓を仰ぎ見て思わずため息が出ました。
延命寺は、紅葉のシーズンにも何度か来たことがあるけれど、これほど見事な姿にお目にかかったことはありません。まるで老いた龍が身を横たえているような姿です。
またこの楓の紅葉は周辺の紅葉よりもやや色が淡く、これが一千年前の色なのか、老木ゆえの色の淡さなのか、植えられた頃の時代や情景に思いが及ぶところでもあります。
延命寺のあるこの地域は、昔「おにしみ」と呼ばれ、平安期には「小仁深」。中古には「鬼住」の文字をあて、三日市宿の標にも「おにすみえんめいじ」と記された石標があります。
現在では地元住民の願により、町名が変更され「神が丘」となっています。
いちおう地名の由来について和泉市の父鬼と対になった鬼の由来が伝説していますが、柚木真一さんの著書によれば「鬼が棲む…」とか、「河童が出る」とか云うのは、ある危険さから立ち入り禁止の、いわゆる”たたり神”として造営されたものがある… とは、つまり人里を離れた場所で、人を近づけず、手入れの行き届いた静かな環境に囲まれて、歴代の住職が思う存分に悉曇(しったん)の勉強に励むための方便だったのかもしれませんね…