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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
「情緒論」切通里作・著
更新 : 2007/11/28 16:57
最近、興味深い本を読みましたので紹介。
切通里作氏の「情緒論」。
(■部分引用)
■1939年のノスタルジー
生活のために小説を休業している樋口一葉のもとに、作家仲間が訪ねてくる。
久しぶりの文学談義に華を咲かせ、一葉の顔も生き生きとしてくる。彼女が奥に一度引っ込むと、母親が着物を畳んでいる。「これでお客さんにお寿司を出してあげなさい」。母は自分の着物を質に入れようというのだ。「私には派手になったから」という母に一葉は言葉が継げない。
そこへ別室から、さっきまで自分が混じっていた作家仲間たちの鼻歌が聞こえてくる。
何の科白も注釈もなくて、これだけのシチュエーションで伝わるもの。せつないけれど、大泣きするような場面でもなく、そこがクライマックスになっているわけでもない。いわばこれは、明治の風景と同じように、それ自体がひとつの「情緒」なのだと…
■なつかしいって、どういうこと?
過去でも未来でもない宙吊りの風景 ―それはたとえば路上や駐車場の片隅に放置/廃棄された自転車であり、ガードレールにフト落ちた自分の影であり、「今日もまた一日が終わる」という疲労感に満ち始めた夕暮れの時間に見上げた鉄塔であり、青空の下の電信柱であったりする。夕方になる少し前、どこにでもある街の一隅から見上げた、電線や街の景色を入れ込んだ空。
温泉旅館とは、いわば「情緒」産業。ではその「情緒」とは何ぞや?と聞かれると、プロであっても答えに窮してしまう。
来店していただいたお客様に、何か「ほっ…」と、リラックスできる空間や、スタッフの言葉遣い、シチュエーションを作り出してゆくのが私たちの仕事。でもその「ほっ…」っていう感覚を、迎え入れる側が「論」として内蔵し、スタッフ全体に教えて、しかも表現してゆくことっていうのは難しい。すなわち今まで「情緒」=「論」ではなかった(≠)から。
切通理作氏はオタクから川端康成まで「情緒」を「論」として語り始めた。本書の中の、数あるキーワードの中に、いろいろなヒントを得ることができる気がします。