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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
旧高野街道綺譚(その3
更新 : 2007/12/5 23:59
【御所の辻地蔵(ごしょのつじじぞう)】
■『神隠しのミステリー』
高野参詣は、弘仁7年(816年)弘法大師空海が高野山を開いてから、平安時代の上皇、公家にはじまり、信仰の道として古来、老若男女を問わず、さまざまな人々がこの街道を往来しました。そして、これら街道の往来はまた、さまざまな出来事を、この地にもたらせたといえます。
当館の建つ天見。そして南海高野線で隣の駅に位置する千早口(ちはやぐち)周辺は、四方を山に囲まれた狭い地域であるにも関わらず、ここを通らねば、大阪・堺方面から高野山に抜ける道はほかになく、古くから交通の要衝として存在し、よって、数多くの伝説を残しています。
千早口駅近くの三叉路に、ぽつりと祀られる地蔵堂。
地蔵を安置する祠の石柱に菊の御紋が刻まれていたことによって、現在も「御所の辻」、「御所の辻地蔵」と呼ばれています。
昔、ある高貴な身分の幼少の姫君が高野参詣の途中、この辻で供廻りの者と一緒に、輿を休めて休憩しているうちに「神隠し」にあったといいます。
供の者が、周辺をいくら探しても姫君は見つからない。姫君はこの地で忽然と姿を消した。
八方手を尽くしても姫君の消息はつかめない。やがて、ついに姫君は亡くなったと思われ、悲しむ親族縁者によって供養のための地蔵が祀られた。そして、いつの頃からか「御所の辻」地蔵と呼ばれています。
その地蔵堂の石柱や器物にはすべて菊の御紋が付いていたというから、当時よほどの身分の高い方であろうと伝えられたといいます。
写真に写した石柱は2代目で、近代、地元の人の手によって建替えられています。
現在のものを、よくよく見れば、桐と菊の御紋で、桃山時代、秀吉の正室寧々の菩提寺である高台寺紋のようにも見え、その伝説の起こった時代や背景などにイメージがふくらみます。
おそらく地形もあまり変わっておらず、静まり返った御所の辻に、渓谷のせせらぎの音などを聴けば、本当にミステリアスな場所に思えてきます。