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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
「不思議の里」天見・山藤香る蟹井神社
更新 : 2009/5/7 20:24
G.Wも終わってしまいましたね。
世間も平常運転に戻ります。
さてこの時期の見どころとして、前回、紹介した子安地蔵寺さんの藤は股ですが別格なのですが、今はここ、旧高野街道沿いの天見でも、山々のいたるところに山藤が咲いています。
車で通り過ぎると、ほんの一瞬しか目に入らないものですが、ほんとに日本の自然はよくできています...
新緑美しい山々に、薄紫の清涼感漂うような色彩を、うつりゆく季節の中でちゃんと用意してくれる。
いま、天見の遊歩道から眺める岩湧山系の山々の藤と、蟹井神社周辺の藤が見事です。
蟹井神社は不思議な神社で、詳しい沿革は不明。
祭神は、神倭磐余彦命 配祀 品陀和氣命、息長足比賣命、玉依比賣命。
神倭磐余彦命は神武天皇、品陀和氣命とは応神天皇、息長足比賣命は神宮皇后(応神天皇皇母)。玉依比賣命は神武天皇皇母。
なお、社伝によれば「神武天皇御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察し給いし時、今の社北に天見川の大石、
小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神を祀り給いて戦勝を祈願し給いし」とあり、
北斜面には、たしかに不思議な自然石の配列が見られるといいます。
神武天皇といえば、日本書紀のいう「神武東征」という頃ですから、
ほぼ神代期まで遡り、私はまだその自然石の配列を実見していませんが、天見の古老の話とも相まって、これは不思議です。
中世、天見は甲斐の庄と呼ばれたので「甲斐(かい)」が訛って「蟹井」と称されたという説もあります。「甲斐(かい)は峡(かひ)狭い峡谷の意。
また、万葉集にも登場する「なまよみの 甲斐の国...」と、ここで詠まれる甲斐は山梨県のことを指しますが、もともと「よみ(黄泉)」と、「かい」には「貝」「殻」「卵」の意味もあり、「死者のよみがえる地」とも考えられていた。この神社に至る坂道を「御坂(みさか)」といい、古来、坂道に「御(み・おん)」と名づけられる坂道も、じつはめずらしいケースだという歴史家の話も聴いています。
確かな年代としては、後に「天喜三年(一〇九九)に社殿を造立して八月十九日神倭磐余彦命外三柱を祀れり...云々」とあり、
また、近くの沢にいた白い蟹を献上したという伝承も残っています。
「不思議な伝承の残る里」、天見と天見温泉と南天苑。
いまは新緑が美しく心やすらぐ空気です。どうぞ一訪ねてみてください。