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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
隙駒(げきく)
更新 : 2011/10/17 7:19
ただ“雑草”と呼んでしまえば、
個々を顧みることもなく、見逃している路傍の花一輪、雑草一つでも、
名前を覚えると、 目の前の世界がひとつ広がったような気がすることがあります。
「書」もよく似ています。
「なんて書いてあるんでしょう?」なんて云って見逃していると、けっこうソンします。
本当は、もっと広がる世界がありながら、見ない、聞かないまま過ぎ去ってゆくようなもので、
な〜んとなく、世間が狭くなって、もったいないので、
生きているうちに人に訊いたり、調べたりしてみましょう。
「コトバはチカラ」。言葉や、その意味するところは案外よく覚えていて、自分が苦しんだり、悩んだりするときの指針になったりするものです。
今日、紹介するのは南天苑ロビーに長らく額装で掲げる「隙駒(げきく)」です。
作家は長久大徳先生で、篆書の大家。書道家であった父親の書の友人。
左肩に「贈 南天苑」と書かれています。
最近になって分かったことですが
「隙駒」の言葉は、中国の宋代。趙希鵠『洞天清録集』の序文の中にその一文が出てきます。
※
「人の一生は白駒の隙を過ぎるが如く、あわただしく過ぎ去っていく。しかも風雨憂愁は大半を占める。(略)
目を楽しませるのは色ばかりとかぎらず、耳を楽しませるのは楽ばかりとはかぎらない。(略)
ときに古人のよき筆跡を鑑賞すれば、​浮世のわずらいも去り清福を享受するには、これに及ぶものはない​であろう」。
ひとときは、香をくゆらし、古(いにしえ)の人の書いた筆跡に親しみ、書の意味をじ〜っくりと味わおう…そんな感じでしょうか。本当はもっと長いのですが、かなり乱暴にまとめてみました。
やはり、一番印象に残るのは、
「人生は、あっという間。山と山との間を駆け抜ける白馬のように過ぎ去ってしまう」というところでしょうか?
だから… というわけではありませんが、
過ぎ去ってしまわぬうちに…
旨いものは、旨い季節のうちに食べてしまうほうがよいようです。