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大正浪漫の趣き 天見温泉 南天苑のお知らせ・ブログ
【流谷八幡神社の不思議(その1)】
更新 : 2018/5/4 1:17
日本には、いれの地域にも氏神様があり、ご当地の鎮守の社があります。これからシリーズで当館、南天苑が位置する天見・不思議の里にまつわるお話を紹介いたしましょう。
その1は、天見温泉発祥の地ともいえる流谷(ながれたに…とヨみます)八幡神社の不思議。
天見・流谷八幡神社は京都の岩清水八幡宮から当地に御神体を勧請された日が長暦3年(1039)の1月6日と伝えられており、例年1月6日に神社の前を流れる流谷川に縄掛け神事が行われます。河内長野市無形民俗文化財に指定されています。
この勧請杉から、神社の前を流れる流谷川を横断して長い注連縄をかけるのです。
標縄や縄掛けには、本来、ふたつの意味があります。ひとつは、占める縄の意。そしてもうひとつは、外界と内陣を隔てる"結界"の意。
縄を綯うということ自体がすでに、“端(は=未来)を占(な)う”ということ。吉凶を占う行為に入っているのですが、 今も、この占め縄でその年の豊作を占うとの伝えが当地でも残っています。1月に綯われたこの占め縄が野ざらしのまま、切れずに長く残れば残るほどその年が豊作であると伝えられています。
ではもうひとつの意、結界としての役割としてのこの占め縄は、川を横切っていったい何を"結界"としているのでしょう。”占める”の”占”は”占有”の”占”でもあるのです。
位置で憶測するならば、流れる川の、この縄から上流と下流を隔てる"結界"であるということになります。当然、人里からこの上流を秘匿し、禁足の地とするための結界であったいうことです。では、古代の人はいったいなぜここから上流を禁足としていったい何を秘匿していたのでしょう?