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  • 最初にローマを見た日本人をご存知ですか?

    更新 : 2020/2/10 15:40

    織田信長が全国統一を推し進めていた1582年2月
    4人の少年達が「天正遣欧使節団」として
    日本初のキリシタン大名大村純忠らの新書を手に
    長崎からローマへ出航しました。

    その中の1人、中浦ジュリアンの出生地が
    長崎県西海市にあります。

    使節団を派遣した当時の領主
    大村純忠が開港した「横瀬港」は
    「日本史」の著書ルイス・フロイスが
    上陸した事でも知られており
    西海市にある横瀬浦公園には
    ほぼ等身大と言われている
    ルイス・フロイスの像が建てられています。

    出港時、わずか12〜13歳だったと言われている4人は
    約3年後の1585年3月に、ようやくローマに到着。
    現地では熱烈に歓迎され、約1年間の活動の中で
    ヨーロッパ諸国に日本を知らせると共に
    日本へヨーロッパ文化を持ち帰りました。

    帰国の途は4年超!
    出港から約8年半後の1590年7月に
    ようやく長崎に帰港しました。

    しかし、帰国時の日本は出国時とは様変わり!
    キリスト教に理解を示していた織田信長は
    出港からわずか4ヶ月後の1582年6月
    本能寺の変で命を落としており
    大村純忠らも既に亡き後。
    さらに、1587年には、豊臣秀吉による
    禁教令が施行されていました。

    そんな中でも、ヨーロッパでの経験を基に
    必死に布教活動を続け
    江戸幕府によるキリスト教禁教令の下に
    殉教を遂げた中浦ジュリアン。
    長崎県西海市には、彼の顕彰碑や記念公園など
    数多くの史跡が存在します。

    世相の変遷により、不遇の人生を辿った中浦ジュリアンに
    史跡巡りで思いを馳せてみませんか?

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