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ホテル雅叙園東京のお知らせ・ブログ
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目黒雅叙園物語(戦時中の目黒雅叙園)
カテゴリ:その他 2015年3月21日(土)〜
更新 : 2015/3/21 13:55
長引く戦争は目黒雅叙園にも暗い影を落とします。そしてかけがえのないものを失いました。
職員総出で行われた昭和17年の防空演習。後ろに見えているのが旧目黒雅叙園玄関(上記画像)
世の中が戦争のムードが色濃くなると、目黒雅叙園の受難の時代が始まりました。
長引く戦争によって物資が制限され、インフレが高まろうとも創業者の細川力蔵は力の限りを尽くして画家たちに目黒雅叙園を彩る絵を描かせようとしていたようです。
しかし日華事変の長期化に伴い、政府が昭和15年に料理飲食業者に米食の提供を禁止。
東條内閣の成立で、飲食業者の営業は困難を極めました。
昭和19年には太平洋戦争の激化に伴い、政令で飲食店の営業の一時停止が下されると、
目黒雅叙園もこの年から休業、閉鎖を余儀なくされました。「昭和の龍宮城」と讃えられた建物は、
政府の要請で海軍病院分院として利用されることになったのです。
昭和20年の東京大空襲時には、閉鎖中の二号館に焼夷弾が直撃し、二号館が全館焼失。
海軍病院の入院患者たちの懸命の消火活動が、一号館への延焼を食い止めたのです。
そんな折り、創業者の細川力蔵が病のために逝去します。56歳の若さでした。
そして終戦。荒廃した目黒雅叙園を復興し、営業再開へと漕ぎ着けたのは翌21年のことでした。