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  • 加藤嘉明のお話

    更新 : 2020/4/15 9:09

    皆さまこんにちは。

    ホテルマイステイズ 松山
    フロント、木です。

    先日、第2回目のふるさとふれあい塾が開催されました。

    テーマは、伊予史談会の山内 譲 先生による、『船手衆としての加藤嘉明 松山以前』でした。

    加藤嘉明が松山城城主になる前は何してたかって、お話。

    加藤嘉明は、豊臣秀吉に『朝鮮責めとってきてよ。』と、命じられ集められた船手衆の1人でした。

    豊臣秀吉と言えば、『天下統一』。

    秀吉は、ものすごーーーーく、妄想癖があったとも言われていて、『絶対!責めとれる!朝鮮も!唐も!天竺も!世界も!!』と、本気で思っていたと言う説があるそうです。

    でも、ほんとに?無理あるでしょ?さすがに。

    それに、『天下統一』は、『戦いはやめましょう』がモットー。

    矛盾してません?

    また、こんな説も。

    世は戦国時代。

    「戦いたーい!オレも領土ほしーい!」

    と言う考えの侍がたくさんいたので、その鬱憤を晴らすために出兵したと言う説もあるそうです。

    どっちにしても、無謀ですね…。

    さて、

    文禄・慶長の役を経て(負けちゃったけど)、いろいろ評価された加藤嘉明は、文禄4年(1595)伊代正木(松前)城主6万石に任ぜられ、3年後には10万石に、加増される出世ぶり。

    松山城築城に着手しましたが、完成を待たずに、会津藩に転封となりました。

    40万石の栄転だったのに、『もう歳(64歳)だし、松山住みやすいし、行きたくない!!!』と幕府に断りをいれたけど、聞き入れてもらえなかったそうです。

    この時代でも!

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    それでは、また。

    今日は金曜日。

    素敵な週末を!!



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