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ホテルマイステイズ松山のお知らせ・ブログ
狭間の人は…
更新 : 2018/11/26 20:02
皆さま、こんにちは。
不定期投稿係の野水です。
ちょっと前にブログに上がった「加藤嘉明公」のお話。
皆さん、その後の君主の事をご存知ですか?
松山城二代目城主は「蒲生忠知公」です。
他県民の私でも「加藤嘉明公」の話は色々と目にするのですが、その後の「蒲生忠知公」の話はあまり聞きません。
蒲生忠知公の後の「松平定行公」からの松平家が治めている頃の話も見ます。
「蒲生忠知公」とは、どんな人物なのでしょうか。
一番よく聞く話は「暴君」です。
妊婦のお腹を「まな板石」の上で割き、胎児の性別を当てていたとか…。
「……。 えーーーーー!? 北斗の拳ですか!?それ!」
いまでも松山城には「まな板石」が残っていて、夜な夜なすすり泣く声が聞こえるとか…。
「マジですか。 ヤバいですね。 蒲生忠知公…」
と、いう話が有名なのですが。
先日観光コンシェルジュ養成講座でこんな講義を受けました。
『「次代の藩主や領主の評価を上げる為に暴君に仕立て上げる」事が歴史の中には多く存在する。』そうです。
実際の蒲生忠知公は良政で領地の整備や寺院の整備、松山城の完成に尽力したそうです。
(グーグル先生で調べても、正直あまり出てきません…。そして私はまだ無学です。ごめん!蒲生忠知公!あなたの功績を世に伝えられない!)
「死人に口なし」とまでは言わないのかも知れませんが。
「私もそういわれない様に、気を付けよう」と眠気が覚めた講義の一説でした。
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