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伝説の里鹿角「ダンブリ長者」(その2)
更新 : 2024/11/23 0:44
伝説の里鹿角「ダンブリ長者」(その1)の続きです。
(その1)は、一つ前のページをご覧ください。
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それはいまだかつて口にしたことのない芳醇な酒であった。
男は妻を起こし、その話をすると妻もまた同じ夢をみていたという。
二人はダンブリのあとを追っていくと、岩の間から一条の泉が湧わき出ていた。
泉を手で汲んで口にすると、甘露のような酒であった。
二人は神に感謝し、やがてこれをみんなに分けてやった。
この霊酒を飲んだ人は、どんな病もたちどころに治った。
汲めども汲めども霊泉はつきない。この話が 近隣四方にひびきわたり、
多くの人々が集まって暮らした。米をとぐ小川は川下まで白く流れ、
澄むことがなかったという。鹿角を縦断して流れる
米代(米白)川の名の起源である。
さて夫婦は、霊酒のおかげで巨万の富を得て、この国一の長者となった。
今でも平間田の近くの長者屋敷には、その跡だという屋形の礎石が残っている。
夫婦は長者号拝領のため、一人娘桂子姫をともない京へのぼった。
桂子姫はたいそうな美女で、その美しさにうたれた天皇から「仕えよ」という
御言葉をいただいた。桂子姫は、名を吉祥姫と改め、後宮の羨望の的となった。
時は過ぎ、長者夫妻もこの世を去った。后となった吉祥姫は、
両親の逝去を聞き、このことを天皇に申し上げると、
「神は国家の守護である。長者が崇拝した大日神の社を
長者の古里に建立しなさい」と言われた。
そこで小豆沢村に大日堂が建立されたのである。
継体天皇17年のときである。
吉祥姫の遺言は、「わたしを古里の土中に埋めてほしい」というものであり、
大日堂のそばに埋葬され、墓印として銀杏の杖が立てられ、
吉祥院という寺も建てられた。
銀杏の杖は大樹となったが、昭和53年の嵐でたおれ今はない。
■大日堂舞楽 「神々の舞い」
(ユネスコ無形文化財/国重要無形民俗文化財)
この大日堂(大日霊貴神社)では、毎年正月2日に
約1300年の歴史をもつ県内最古の舞楽が奉納されます。
舞楽に参加する能人は、大里、谷内、小豆沢、長嶺の4地区の氏子35人。
長い歴史をもつ素朴であり、厳かな雰囲気の伝統行事です。
次号は、大日堂舞楽を掘り下げてご紹介したいと思います。
1枚目写真出典:オマツリジャパン(https://omatsurijapan.com/blog/dainichidoubugaku/)
米代川(出典:FISHPASS)
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