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大日堂舞楽 舞台裏 能人インタビュー (その2)
更新 : 2024/12/21 8:44
※このブログは第3回に渡る「大日堂舞楽 能人インタビューシリーズ」のその2です。その1からご覧ください。
以下は5年前までに行われてきた大日堂舞楽の当日の流れです。
夜中の1時頃からごはんの支度をし、3時頃に能人が支度を始めます。
5時頃、ともどが入り、支度を手伝い、正装に整えると
お盆に大中小の盃を並べて、能人6人と鼓奏者の7人でお酒を回しいただきます。
この儀式は「三五盃(さごさかずき)」と呼ばれいています。
その後塩で身を清めると、最初の舞が奉納されます。
その後、朝食をとり、清める為の麦酒をいただき
6:30になると、五穀豊穣・無病息災を祈願し五ノ宮岳に向かって
一節ずつ、神子舞、神名手舞を奉納し、祈りを捧げます。
本舞にも構成される、「五ノ宮岳」とは、
大日堂の東手にそびえ立つ山で、継体天皇五番目の子、五の宮皇子が
由来となり名付けられました。背景には八幡平がそびえています。
五の宮皇子は両親がこの世を去ると金丸兄弟、御乳母薬師姫夫妻、
御家人の奈良・成田・安保・秋元の四臣を供人として都を離れ
「吾れ東嶺に上り、苦患修行にて、身を終ぶべし。汝等永く此の地に住みて、
土民を愛撫せよ。」と言い伝え、入山されて姿を消しました。
隣にそびえる八森獄に龍がたなびき、里人を恐れさせたので、
ご信託により、皇子の御霊を慰めるため獅子頭を奉納して、
舞われるようになったと云われています。
尚、五の宮皇子の遺言通りこの時の四臣が現在の鹿角の基礎を築きました。
山頂には、五の宮権現神社が祀られ、西側には縄文以降の遺跡が多く遺り、
古来から山岳信仰の深い山として、多くの人々の崇敬を集めています。
その後、自治会館で待機の後
7時に駒形神社にて、谷内地区と合流し
新年の挨拶を終えると、地区毎に一回、神子舞、神名手舞を奉納し
ついに、大日堂へ徒歩で向かうことになります。
(尚、谷内・長嶺勢は表参道、大里・小豆沢勢は裏参道から境内に入ります。)
(その3へつづく)
提供:Dcasa様
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