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「伝説の里」鹿角を旅する #6 錦木塚物語 その1
更新 : 2025/5/10 23:15
語り継がれてきた伝説、民話が数多く遺る「伝説の里」 鹿角
多くの文人墨客が心打たれた甘く切ない物語。
「錦木物語」についてご紹介します。
今から約1600年ほど前(仲哀天皇のころ)
鹿角市十和田錦木は狭布(けふ)の里とよばれ、
京より下った郡司狭名大夫が治めていた。
大夫から八代目狭名大海には、政子姫という美しい姫がいて、
姫は狭布の細布を織ることがたくみであった。
また、鹿角市十和田草木には、錦木を売ることを仕事にしていた若者が住んでいた。
錦木とは、楓木、酸木、かば桜、まきの木、苦木の五種の木の枝を
三尺(約90cm)あまりに切り一束としたものである。
これは別名「仲人木」といい、縁組に用いられるものである。
ある日、若者は赤森の市で政子姫の美しい姿に心をうばわれてしまう。
毎日毎日、若者は政子姫の門前に錦木を立てた。
当時は、女の家の門前に錦木が立てられ、家の中に入れられると、
男の気持ちが通じたものとする風習があったという。
若者は姫の姿を見てから雨の降る日も風の吹く日も雪のふぶく日も、錦木を運んだ。
しかし、錦木はむなしく積み重ねられるだけであった。
姫は機織る手を休め、そっと若者の姿を見つめるようになった。
いつの間にか、姫は若者の心をあわれむようになっていた。
しかし若者が門前に錦木をいくら高く積んでも、
姫は若者の心を受け入れることはできなかった。
なぜなら…
鹿角の東方に五の宮嶽という山があり、そこには、大ワシが住んでいて、
古川の里に飛んできては、子どもをさらっていた。
そのため、子どもを持つ親は、仕事を休んで守らなければならなかった。
あるとき、若い夫婦が、幼い子どもをさらわれて、なげき悲しんでいた。
そこへ、旅の僧が立ち寄り、
「どうしてそんなに、なげき悲しんでおられるのじゃ」とたずねた。
夫婦は、「大ワシが、子どもをさらっていきました。
大ワシはあそこに見える五の宮嶽に住んでいます。
取り返すこともできず悲しんでいるのです」と答えた。
僧は、「子どもたちに鳥の羽をまぜた織物を着せなさい。
するともう大ワシは、子どもたちをさらっていけなくなりますよ」
というと、立ち去って行った。
つづく・・・
(写真1枚目 出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
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