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湘南平の歴史知ってました?
更新 : 2015/2/28 7:21
湘南平の歴史について…
泡垂山の地名は曽我物語に由来し、虎御前のもとにいた兄十郎の危急を聞き曽我の里から駆けつけた弟五郎が近道をしようと馬でこの山に駆け上ったところ山頂付近で馬が泡を垂らしたところからつけられたという。またその時に馬が前足を踏ん張った場所から泉が湧きでたとされ、のちに十郎が虎女への文をこの水で墨をすりしたためたことから「十郎の硯水」として現在も湘南平東側入口の横に史跡として残っている。昭和の初期頃まで此処には茶店があったという記録もあり、昔の日本人の曽我物語好きを偲ばせる。
1941年(昭和16年)には高射砲陣地が造られた。終戦前のB-29による首都圏への爆撃の時、目標にした富士山からこの上を通って東京方面に向かったB29に向かって砲撃したが届かなかったという。この高射砲陣地は米軍の爆撃の対象となり破壊され、山の北側にある古寺荘厳寺も、その巻き添えとなり焼失(現在は再建されている)した。戦後暫くは荒廃したままであったが、1957年(昭和32年)に平塚市と神奈川中央交通がここを自然公園とする計画を立て開発・整備し、当時の市長である戸川貞雄が湘南平と命名した。その後、放送所設置及びレストハウス立て替え等が行われ、現在に至っている。
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