宿・ホテル予約 > 佐賀県 > 唐津・呼子 > 唐津・呼子・玄海 > 海辺の宿 清力のブログ詳細

宿番号:319540

まるで海に浮かんでいるような客室からの眺めと旬の海の幸が好評!

JR西唐津駅からバス約25分。 多久ICより唐津方面約60分。福岡都市高速「天神北ランプ」より約90分

空室検索・予約

この宿をクリップする

チャットで問い合わせる こちらの宿への質問にAIがチャット形式で答えてくれます。

宿メルマガ メールする

海辺の宿 清力のお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • 1400年前の恋物語が今も・・・

    更新 : 2011/5/7 21:05

    松浦佐用姫伝説 その1

    長崎自動車道 多久ICから唐津方面へ少し走ると道の駅「きゅうらぎ」の横に
    高さ十数メートルの像が現れます。
    パッと見て解らないくらいゆっくり回転していて、20分位で1周するそうです。
    厳木(きゅうらぎ)が佐用姫の生誕地という説があり、ここに建てられています。

    では、佐用姫伝説 千四百年前の恋物語とはどんなものか?

    宣化天皇二年(537年)、朝廷の命を受け、隣国の新羅に侵略されていた朝鮮半島 の任那、百済を救援するための兵を率いて唐津へとやってきた大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、出陣のための軍船の建造や準備の為にしばらくここ唐津に留まり、 その際、篠原長者の館に滞在することにしました。篠原長者には、佐用姫というとても美しい娘がおり、佐用姫が挟手彦の身の回りの世話をするうち、二人はお互い惹かれ合って恋仲となり、やがては夫婦の契りを結びました。

    やがて軍船は出来上がり、狭手彦の乗った船は松浦の港を出港。佐用姫は玄界灘を見渡す山(鏡山:唐 津市浜玉町〜鏡)に登り、遠ざかり行く狭手彦の船に領巾(ひれ)を振りつづけました。
    しかし佐用姫は、遠ざかる船をさらに追い、呼子の浦まで追いかけ、最後に加部島の天童山に登って船の影を探します。しかし海原にはすでにその姿は見えず、佐用姫は悲しみのあまり七日七晩泣き明かし、とうとう石になってしまいました。〜肥前風土記・民間伝承〜

    千四百年前の恋物語が、今も語り継がれるのは、報われない恋だからなのか。


宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。

この宿に問い合わせる