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海辺の宿 清力のお知らせ・ブログ
1400年前の恋物語が今も・・・
更新 : 2011/5/7 21:05
松浦佐用姫伝説 その1
長崎自動車道 多久ICから唐津方面へ少し走ると道の駅「きゅうらぎ」の横に
高さ十数メートルの像が現れます。
パッと見て解らないくらいゆっくり回転していて、20分位で1周するそうです。
厳木(きゅうらぎ)が佐用姫の生誕地という説があり、ここに建てられています。
では、佐用姫伝説 千四百年前の恋物語とはどんなものか?
宣化天皇二年(537年)、朝廷の命を受け、隣国の新羅に侵略されていた朝鮮半島 の任那、百済を救援するための兵を率いて唐津へとやってきた大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、出陣のための軍船の建造や準備の為にしばらくここ唐津に留まり、 その際、篠原長者の館に滞在することにしました。篠原長者には、佐用姫というとても美しい娘がおり、佐用姫が挟手彦の身の回りの世話をするうち、二人はお互い惹かれ合って恋仲となり、やがては夫婦の契りを結びました。
やがて軍船は出来上がり、狭手彦の乗った船は松浦の港を出港。佐用姫は玄界灘を見渡す山(鏡山:唐 津市浜玉町〜鏡)に登り、遠ざかり行く狭手彦の船に領巾(ひれ)を振りつづけました。
しかし佐用姫は、遠ざかる船をさらに追い、呼子の浦まで追いかけ、最後に加部島の天童山に登って船の影を探します。しかし海原にはすでにその姿は見えず、佐用姫は悲しみのあまり七日七晩泣き明かし、とうとう石になってしまいました。〜肥前風土記・民間伝承〜
千四百年前の恋物語が、今も語り継がれるのは、報われない恋だからなのか。