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宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
世界文化遺産国内暫定一覧表に追加登載決定!萩反射炉
更新 : 2008/10/28 23:54
萩市の@萩反射炉A恵美須ヶ鼻造船所跡B松下村塾の3件が、世界遺産暫定一覧表に記載することが適当とされた文化資産に該当することになりました。本日は、その「反射炉」をご説明致します。
反射炉は西洋で開発された金属溶解炉である。日本へは欧米列強に対する危機感が高揚した江戸時代後期、反射炉の知識が蘭書によってもたらされ、幕府や一部の藩がその導入に取り組んだ。
それは、旧来の大砲に代わる鉄製の洋式大砲を必要としたからである。嘉永4年(1851)佐賀藩が日本で最初に反射炉を完成させ、薩摩藩・伊豆韮山(にらやま)代官所(幕府天領)・水戸藩・萩藩が続いた。また民間でも、安心院(あじむ)(大分県)・六尾(むつお)(鳥取県)・大多羅(おおだら)(岡山県)などで反射炉が導入された。
それらのうち、反射炉の遺構が現存するのは、伊豆韮山と萩の2カ所だけであり、わが国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡とされている。
萩藩においては、ペリー来航後の安政年間に反射炉の導入が試みられた。同藩は安政2年(1855)西洋学所を開設し、翌年造船所を設立して洋式軍艦の丙辰丸(へいしんまる)を建造するなど、軍備の拡充に努める。同藩はこれら軍事力強化の一環として、反射炉の導入にも取り組んだのである。
従来、萩の反射炉は安政5年(1858)に築造されたと考えられてきたが、現在、記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に「雛形」(試験炉)が操業されたということのみである。
したがって近年では、萩藩には実用炉の存在は認められず、この反射炉は試験炉であったという見方が有力視されている。