宿番号:319846
宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
坂本龍馬にとって人生のターニングポイントは萩?
更新 : 2010/3/15 23:06
NHK大河ドラマで話放映中の「坂本龍馬」。萩も、坂本龍馬が滞在しておりました。
薩摩藩と長州藩が和解し「薩長同盟」を結ぶ架け橋となった坂本龍馬。坂本龍馬は、1862年1月に萩に訪れています。その後、3月に坂本龍馬は脱藩します。萩の滞在が、脱藩を決意するきっかけとなったとも考えられます。もしかしたら萩は、坂本龍馬にとって人生のターニングポイントの地になったのかもしれません・・・。
坂本龍馬は萩で、武市半平太の書簡を持って久坂玄瑞を訪ね、この場所にあった鈴木勘蔵の旅館に泊まったとされています。たまたま薩摩藩士 田上藤七も、同藩士 横山三円も久坂玄瑞宛の書簡を持参して来ていました。
図らずも久坂玄瑞を中心に薩長土の三藩が日本の将来を語り合い、後日の薩長土連合を暗示する前兆だったのかもしれません。
松陰神社境内に入ってすぐ左側奥には「薩長土連合密議の處」石碑が建っています。
更に久坂玄瑞の日記によれば、1月15日、彼等は「他国文武修行者宿」(現在、萩地方裁判所の西向)に移っています。この日、「藁束を斬る」とあるがその場所は定かではありません。その後、坂本龍馬は1月23日に萩を出発していますが、来萩の名目が剣術修行であるため、9日間の滞在中に明倫館の剣槍稽古場(現在の「旧藩校明倫館有備館)で試合をしたのではないかと推測されています。
坂本龍馬が帰る時に、久坂玄瑞は武市瑞山宛の書簡を託しています。それには、藩そのものを否定しても草莽の志士が結合して実践に移ろうというもので、吉田松陰の「草莽崛起論」と思想的なつながりを持っています。
その後、坂本龍馬は土佐藩の政策に反対し脱藩。そして江戸で勝海舟の門に入ています。
関連する周辺観光情報