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大河ドラマ「花燃ゆ」【小田村伊之助(楫取素彦)】
更新 : 2015/1/21 23:06
◆草創期の群馬県政を担った初代県令◆吉田松陰の2人の妹と結婚した
【生没年】文政12(1829年)− 大正元(1912年)
【享年】 84 歳
【誕生地】長門国萩(萩市)
【墓】防府市桑山(大楽寺)
藩医松島家に生まれ、儒者小田村家の養子となる。
藩校明倫館に学び、江戸に出て佐藤一斎や安積艮斎に師事、帰国後は明倫館で指導する。
吉田松陰の妹寿(寿子)と結婚し、松陰の投獄後は松下村塾でも教育にあたった。
安政6年(1859)藩主毛利敬親の側儒に抜擢され、文久元年(1861)以降、江戸・京都・萩の間を奔走する藩主に随行し、藩政中枢に参与。
慶応元年(1865)長州征討にさいし、宍戸たまき(山県半蔵)とともに広島に赴いて幕府側との交渉にあたり、翌年、長州戦争(四境戦争)直前には広島に一時拘留された。
慶応3年、藩命により楫取素彦と改名した。
明治維新後は新政府に出仕し、地方官を経て、明治9年(1876)群馬県が新たに発足したことにより、その初代県令(現在の県知事)となる。
約10年間の在任中には、県庁を高崎から前橋に移転して伝統産業の養蚕・製糸業を奨励し、また教育にも力を入れるなど、草創期の群馬県政に大きく貢献した。
明治14年、妻寿をうしない、明治16年、松陰のもう一人の妹文(文子、久坂玄瑞の未亡人、美和子と改称)と再婚した。
その後、元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任した。
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