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宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
大河ドラマ「花燃ゆ」の人々【玉木文之進】
更新 : 2015/1/23 1:28
◆松下村塾の創始者◆
【生没年】文化7(1810年)− 明治9(1876年)
【享年】 67 歳
【誕生地】長門国萩(萩市)
【墓】萩市椿東(護国山団子岩)
藩士杉家に生まれ、11歳の文政3年(1820)叔父の玉木正路の跡をつぐ。
幼い吉田松陰の指導にあたる一方、27歳の天保7年(1836)以降、松陰の代理教授として藩校明倫館で山鹿流兵学を教授する。
天保9年、御蔵元順番検使役となった。
天保11年、部下が不始末を起こしたため非職となる。
天保13年、自宅に松下村塾を創始し、子弟の教育にあたる。
のちに藩政に復帰、弘化4年(1847)御手当総奉行宍戸孫四郎の手元役、嘉永元年(1848)明倫館都講となり、公務多忙となったため塾を廃止。
安政元年(1854)手廻組に加えられ、相模国備場総奉行毛利隠岐の手元役となり、安政2年、相模国(神奈川県)へ出張。その後、小郡・吉田・船木・上関・奥阿武・山代など諸郡の代官として民政に尽力し、郡奉行もつとめた。
元治元年(1864)には自宅に寄宿した乃木希典の指導も行った。
明治2年(1869)隠居、松下村塾を再興し子弟の教育に専念する。
明治9年、門人が多数参加した萩の乱直後、玉木家の墓前で自刃した。
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