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宿番号:319846

目の前は日本海!貸切露天・足湯・生ビールなど無料サービス盛沢山

ハイクラス

はぎ温泉
小郡萩道路絵堂ICより約25分/萩循環まぁーるバス西回りで約10分(東萩駅前乗車→菊ヶ浜入口・萩一輪前下車)

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    大河ドラマ「花燃ゆ」の人々【品川 弥二郎】

    更新 : 2015/2/22 1:06

    ◆信用組合制度普及に努めた政治家◆

    【生没年】天保14(1843年)− 明治33(1900年)
    【享年】 58 歳
    【誕生地】長門国萩松本村(萩市椿東)
    【墓】京都市東山区(霊山墓地)

    萩藩士。政治家。下級武士の家に生まれる。15歳の時、吉田松陰が主宰する松下村塾に入門。松陰からその才を愛された。

    安政5年(1858)12月、藩が松陰に投獄を命じたさい、同志とともに藩政府に抗議したため、謹慎に処される。

    松陰没後は攘夷運動に参加し、文久3年(1863)には士雇となる。

    元治元年(1864)7月、八幡隊を率い禁門の変で戦ったが、敗れて帰国。その年8月、同志と御楯隊を組織し、藩内戦などで活躍。

    慶応3年(1867)10月には京都で岩倉具視から錦旗調製を託され、さらに討幕の密勅を奉じ山口に帰る。

    明治3年(1870)、普仏戦争視察のため渡欧し、プロイセンの農政・協同組合などを研究して明治9年に帰国。

    大日本農会など産業団体結成に尽力し、駐独大使などを務める。
    第1次松方正義内閣の内務大臣となるも明治25年、第2回総選挙で大選挙干渉を行い、激しい非難を浴びて辞任。
    先に亡くなった師友に対する思いが強く、京都に尊攘堂を建て、その遺墨を収集した(現在は京都大学附属図書館に収められている)。
    東京都千代田区九段下には銅像が現存。

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