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大河ドラマ「花燃ゆ」【 叔父 玉木文之進 】
更新 : 2015/4/25 1:52
文の名前に一字を与えた、玉木文之進とはどのような人物でしょうか。
文之進は、松陰らの父杉百合之助の末弟として文化7年(1810)に生まれ、11歳の時に叔父の玉木正路の跡を継ぎます(なお次弟の大助は吉田家を継ぎ、その後、松陰が後継となります)。
山鹿流の兵学者で、藩では、御蔵元順番検使役や明倫館都講、また各地の代官として民政に尽力し、郡奉行などを歴任しました。
吉田家当主となった松陰が、藩校明倫館で一人前の兵学師範を務められるように厳しく教育したエピソードはよく知られています。また、松陰が明倫館の家学教授見習となったときは、その後見人となっています。
学識に優れ、自宅に付近の児童を集めて教授し、松下村塾と名付けます。塾の名称は、後に久保五郎左衛門が継ぎ、その後、松陰が継承しますが、このことから文之進の旧宅(上図参照)が松下村塾発祥の地ということもできます。
明治2年(1869)に隠居、松下村塾を再興して子弟の教育に専念しますが、明治9年の萩の乱に門人が多く参加したため、玉木家の墓前で自刃しました。享年67歳。
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