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宿番号:319846

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ハイクラス

はぎ温泉
小郡萩道路絵堂ICより約25分/萩循環まぁーるバス西回りで約13分(東萩駅前乗車→菊ヶ浜入口・萩一輪前下車)

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    大河ドラマ「花燃ゆ」【民政などに尽力した兄梅太郎】

    更新 : 2015/4/26 23:28

    よき理解者として松陰を支え、仲の良かった兄杉梅太郎は文政11年(1828)生まれ。松陰とは2歳違いで、若い頃はともに父や玉木文之進の指導を受け、玉木が創始した松下村塾や藩校明倫館で学びました。

    嘉永6年(1853)、江戸湾警備のため相模国(神奈川県)に出張。翌年の松陰の密航未遂事件に連座して帰藩を命じられますが、まもなく郡奉行所勤務となります。安政6年(1859)には、松陰の江戸送りに連座し免職されますが、翌年に家督相続を許されて再登用、その後は民政方御内用掛や、明治元年(1868)に、当島・浜崎両宰判の民政主事助役となるなど、、優れた役人として各地の民政に携わりました。

    明治2年には、民政に尽力した功労により、藩主毛利敬親から「民治」の名を拝領します。

    廃藩置県後は、山口県権典事などとして出仕しますが、退職後には閉鎖されていた松下村塾を再興し、子弟の指導にあたりました。また、晩年は萩私立修善女学校長となるなど、子女の教育にも努めました。

    弟松陰の志を伝え続けた梅太郎は、明治43年、83歳で亡くなります。

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