宿番号:319846
宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
世界遺産登録勧告【萩城下町】に近い宿・青木周弼旧宅
更新 : 2015/5/28 3:45
平成27年5月4日、今年の世界文化遺産登録を目指している、萩市の5資産を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」について、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関である「イコモス」による勧告が、ユネスコ世界遺産センターから通知されました。
萩エリアは、5つの資産が登録勧告されました。
その中で【萩城下町】は、当館からも近く観光に便利な立地にございます。
萩の城下町を紹介致します。
◇萩城下町【青木周弼旧宅】◇
防長医学の発展に大きく貢献した日本屈指の蘭学医・青木周弼
13代藩主・毛利敬親の侍医を務めた青木周弼が生まれ育った家。
幕末当時、日本屈指の蘭学医でもあった。
来客用と家人用の座敷に分けられた母屋が、全国から門下生が集まった青木家の事情を物語っている。
青木周弼は、享和3(1803)年、周防大島郡の医師青木玄棟の長男として生まれる。
三田尻の名医能美友庵・洞庵父子に学び、江戸に出て蘭方医坪井信道などに学んだ。
長崎に遊学した際には、シーボルトに師事。一時、長崎で開業するも天保9(1838)年に能美洞庵などの推薦で藩医となり、嘉永元(1848)年、13代藩主・毛利敬親の信任を得て侍医となる。
早くから種痘法に注目し、弟・研蔵を長崎に遣わし研究させ、藩内でこれを施し大いに功を奏した。
高杉晋作が10歳のとき疱瘡にかかった際、診療した医者としても知られる。藩の医学館(好生堂)創設にかかわり、後に館長となり、防長医学の発展に大きく貢献。周弼が培った洋学の知識は、村田清風を通じて幕末の藩政改革に生かされた。文久3(1863)年、61歳でこの世を去る。
関連する周辺観光情報