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大河ドラマ「花燃ゆ」【松下村塾の四天王・高杉晋作】
更新 : 2015/6/19 9:57
伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義ら多くの維新の志士、明治の元勲を輩出した松下村塾ですが、その中でも一、二を争ったのが、高杉晋作と久坂玄瑞の二人でした。
この二人に吉田稔麿を加えて、松陰門下の三秀という呼び方もされました。
さらに入江九一を合わせたのが、松下村塾の四天王という呼び名なのです。
【高杉晋作】
天保10年(1839年)長州藩士・高杉小忠太の長男として生まれた高杉晋作は、嘉永5年(1852年)に藩校明倫館に入学、幼いころからの知己であった久坂玄瑞の薦めで、松下村塾の門を叩きます。
優秀だった高杉は、その後藩命で江戸へ遊学し、昌平坂学問所に学びます。この当時、吉田松陰は老中・間部詮勝襲撃計画の罪で江戸小伝馬町の牢に投獄されていたため、高杉は囚われの身の師の世話もすることになります。
安政6年(1859年)、遊学期間も終わって長州へ戻った高杉を待っていたのは吉田松陰刑死の報せでした。
文久3年(1863年)関門海峡で外国船砲撃事件が起きると、高杉は松陰が描いた近代的な軍隊である奇兵隊を結成しその初代総督となります。
文久4年の下関戦争、第一次長州征伐といった藩の危機に、高杉はその能力を認められ、藩の攘夷論の中心人物として、薩長同盟結成、第二次長州征伐などに重要な役割を果たします。
しかし、肺結核に蝕まれていた高杉は政治の第一線を離れ、ついに慶応4年(1867年)その短い生涯を閉じます。
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