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世界遺産登録・明治日本の産業革命遺産「萩反射炉」
更新 : 2016/4/23 13:09
◆試験炉として、試行錯誤による産業化を示す◆
萩反射炉は、西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した萩藩が安政3年(1856)に建設した反射炉の遺跡です。
鎖国状態にあった江戸時代にあって、大陸に近い西南雄藩は、アヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感をもち、海防の強化に取り組みます。各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤します。当時は鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていました。
萩藩は、既に反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士らを派遣し、鉄製大砲の鋳造方法の伝授を申し入れます。一回は断られますが、その後反射炉をスケッチすることは許可されます。文献調査の結果、スケッチした図面は見つかりませんでしたが、「安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という内容の萩藩の古文書が発見されました。現在、萩反射炉は、この時に築いた試作炉であると考えられています。
当時の蘭書の設計図どおりの反射炉としては「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の資産にもなっている韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)が唯一残っていますが、萩反射炉は試作炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産です。
【反射炉の構造と特徴】
炉と煙突に大きく分けられる。燃焼室で焚いた燃料の炎と熱を浅いドーム形の天井に反射させて、溶解室に置いた原料鉄に熱を集中させて溶解させる。高い煙突を利用して大量の空気を送り、炉内の温度を千数百度にし、鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変える。
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