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宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
A歴史の道・萩往還【明木市〜佐々並市〜防長国境】
更新 : 2016/6/15 10:16
萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53km。
江戸時代の庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。
萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。
幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたのでしょう。
【萩往還交流施設 乳母の茶屋】
毛利家の乳母をした先祖がある佐々木家の跡。自由に休憩できます。
【一升谷の石畳】
急な山道を雨水から守るため、先人が考えた石畳です。幅約1mで、両端に大きな石を置き、内側に小さい石を配して流失を防ぐ工夫をしています。
【御駕籠建場跡】
河村誠さん宅先の御駕籠建場跡。殿様一行は小休止をして名物の桜茶(塩漬けにした桜の花のお茶)を楽しんだといわれています。
【中ノ峠下一里塚】
萩から3里の位置にある中の峠(たお)下の一里塚。三田尻船場まで9里。
【佐々並市の街道筋】
風情のある街並が続きます。
【石風呂の復元】
当時の人は中で火を焚き、底の石を焼いて、その上に海藻を敷いて体を休めました。
【上長瀬一里塚】
1里ごとに作られた築山。原型に近い形で残った県指定史跡。
【氷室の跡】
昔の冷蔵庫。山口祇園祭へ氷を馬車で運んだ。