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宵待ちの宿 萩一輪のお知らせ・ブログ
B歴史の道・萩往還【防長国境〜山口〜鯖山峠】
更新 : 2016/6/15 10:17
萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53km。
江戸時代の庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。
萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。
幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたのでしょう。
【国境の碑】
地上高さ210cm。創設年代不詳。宝暦年間作成と推定される絵図に記入されているので、その頃には存在していたと推定されます。現在の石碑は文化5年に改調されたもの。
【一の坂一里塚】
石で積み上げた一里塚。萩往還の中間点にあたります。萩、唐樋より6里、三田尻船場より6里。
【六軒茶屋跡・六軒茶屋案内板・厠】
萩往還には旅人の休憩の場として茶屋が所々に設けられていました。
ここは昔六軒の農家があり、佐々並から山口に家があったのはここだけで、往来の旅人の良い休み場で、軒先を茶店にして旅人をもてなしていたことから六軒茶屋と呼ばれるようになりました。
【四十二の曲がり】
「ここは一の坂四十二の曲がり 降りてくだされだんな様」という詩歌があります。
【萩往還天花坂口】
防府・山口側から萩へと向かう場合、ここから萩往還最大の難所がはじまります。
【柊神社】
柊地区の旧萩往還沿いにあります。宝暦8年(1758年)長州藩主毛利宗広の二女誠姫がこの神社を再興したとあります。
【峠入口】
萩・山口側から防府へと向かう場合、この峠を越えると、防府(勝坂)に入ります。