宿番号:320968
ホテルリブマックスPREMIUM広島のお知らせ・ブログ
【スポット紹介】尾長天満宮「昔の広島は○○だった」
更新 : 2022/1/5 20:08
皆様こんにちは。
ホテルリブマックスPREMIUM広島です。
今日は近場のスポットをご紹介します!
私共のホテルからも、広島駅北口からも近い「二葉の里 歴史の散歩道」にある古刹「尾長天満宮」
七福神巡りにも加わっており、祀られているのは寿老人です。
急坂を登った丘の上にありますので、体力温存して参拝しましょう。
天満宮と言うだけあって、ここは学問の神様「菅原道真」を祀る社です。
菅原道真は平安時代の公家。
政争に敗れて太宰府(福岡県)に左遷される途中に立ち寄った地が、今の尾長天満宮なのです(現在の名は江戸時代より)。
尾長天満宮のご由緒には、当時の様子がこう記されています。
「現在の尾長山に明星峰(尾長山)天神社という小さな社がありました。 901年、道真公が太宰府に左遷されたとき、当地に着船されました。明星峰天神社に参詣後、しばらく休息を取られました。」
「着船?」
船で乗り付けた、、、
船?
はぁ?
尾長天満宮から見た最寄りの海岸線(宇品)迄は、約5キロ南に離れています。
見渡しても、周りには船で乗り入れられる大きな川はありません。
菅原道真が船で来るには、この辺りが海であるか、大きな入り江である必要があります。
つまり、、、
この辺は海だったって事!?
そうです。
私共のホテルは勿論、今の広島駅周辺から南側は、全て広島湾だったのです。
海水が今の広島市中心部を覆っており、陸地になってたのは小さな中洲か沼地。
それが広島の原風景だったのです。
当時の広島の国府(今で言う県庁所在地)は、広島市の隣にある府中町と想定され、主要幹線道路である山陽道は、当時は府中町を出ると、ずーっと山側(今の広島市安佐南区大町辺り)を通って、山口方面に向かっていたのです。
時は下って、平安時代末期。
1154年、平清盛がこの地に参詣の際、山中にて大豪雨と落雷に遭い、絶体絶命のピンチに陥りますが、何とか九死に一生を得ました。清盛は深く神徳に感銘を受け、この一帯を信仰の山「菅大臣(かんだいじ)の峰」と名付け、峰に社殿を創建して、道真公の神霊をお祭りしました。
尾長天満宮の始まりです。
それから約1000年。
海の底だった広島は、日本を代表する大都市へと成長しました。
如何にして、今の広島が生まれ育ったのか。
気になる所ですが、文字数の都合で、続きはまた後日のお楽しみに(笑)
関連する周辺観光情報
他のホテルを探す場合はこちら