広島のホテル・旅館 - 宿泊予約は【じゃらんnet】
宿・ホテル予約TOP > 広島のホテル・宿泊施設

広島のホテル・宿泊施設

地図から探す

宿泊日

人数等 部屋

大人

子供

0名

注目プランのある宿[PR]

※最安料金は、5月27日時点、日付未定/1泊2名1室料金の最安料金です。

広島 ホテル・宿泊施設情報

広島県は、中国地方に位置する県で、自動車を中心とした工業が栄えているのが特徴です。工業だけではなく、瀬戸内海に面しているために漁業が盛んに行われており、さらに山々も連なっているため農業も盛んです。自然が豊富な同県は、広大な敷地に花が咲き誇る世羅高原農場や香山ラベンダーの丘といった観光地が人気となっています。また、世界の恒久平和を願い建設された平和記念公園をはじめ、原爆ドーム、呉市海事歴史科学館、ハノーバー庭園、厳島神社や宮島など、歴史に深く関連した観光地も複数存在しています。県内には多くの公園があるのも特徴のひとつで、特に春になると、しだれ桜や八重桜などによって桜並木が現れます。
数多くの観光スポットを有する広島県には、ただリラックスできるだけではなく、景観も重視したホテルがあり、海を眺望できるところや、外に庭園を構えている施設などがあります。また、スポーツができるスペースを確保した宿泊施設などもあり、疲れを癒しつつ、身体を動かして気分をリフレッシュさせることもできます。空港から近いホテルや旅館などの宿泊施設もあるため、遠方から観光に訪れた際にも安心です。

ホテル・宿泊施設からの新着トピックス

広島・宮島

※最安料金は、5月27日 12時40分時点、日付未定/1泊2名1室の最安料金です。

※高評価項目は、実際に宿泊した会員のクチコミ評価から、4点以上の項目を最大3つまで表示しております。

福山・尾道

※最安料金は、5月27日 12時40分時点、日付未定/1泊2名1室の最安料金です。

※高評価項目は、実際に宿泊した会員のクチコミ評価から、4点以上の項目を最大3つまで表示しております。

三原・竹原・東広島・呉

※最安料金は、5月27日 12時40分時点、日付未定/1泊2名1室の最安料金です。

※高評価項目は、実際に宿泊した会員のクチコミ評価から、4点以上の項目を最大3つまで表示しております。

ページの先頭に戻る

  • 広島県 おすすめの温泉・露天風呂

    • 宮島・宮浜・広島の温泉

      宮島・宮浜・広島の温泉

      「宮島温泉」は日本三景の一つ、安芸の宮島の島内にある。「宮浜温泉」は湧出量は毎分220リットル程で、ほぼ透明な無味無臭のお湯はラドンを豊富に含み神経痛に効くといわれる。「広島温泉」は神経痛、関節痛、慢性皮膚炎などに効くといわれている。入浴後も保温効果が高いのが特長。

    • 湯来・潮原温泉

      「広島の奥座敷」といわれる静かな温泉郷「湯来温泉」は、渓谷沿いの閑静な環境にあります。泉質は単純弱放射能温泉で、神経痛、胃腸病、切り傷などに効くといわれています。豊かな自然に恵まれた「潮原温泉」は、血糖値が高い方に効くといわれている飲用温泉水があります。飲泉所でカップ1杯以上で胃や腸を刺激し活性化。

    • 広島県北部の温泉

      広島県北部には「芸北温泉」「温井温泉」「三段峡温泉」「おおあさ鳴滝露天温泉」「龍温泉」など多様な温泉が点在!中国山地の山並と豊かな自然に囲まれて、温泉浴とともに森林浴を楽しめる。どの季節に訪れても大自然が四季折々の顔を見せてくれる。冬はスキー場のメッカ!!

    広島県 おすすめの温泉・露天風呂ガイドをみる

  • 広島県 おすすめの観光スポット

    • 縮景園

      4.2

      歴代藩主に愛好された名園 元和5年(1619年)に福島正則(ふくしままさのり)が信濃国川中島(かわなかじま)に移封(いふう)された後、紀州和歌山から浅野長晟(あさのながあきら)が新しい広島藩主として入国しました。この縮景園は、その翌年、浅野家の別邸として造られたもので、「泉邸(せんてい)」の名でも親しまれています。 長晟の命を受けて築庭にあたったのは、当時の家老で、茶人としても名高い上田宗箇(うえだそうこ)でした。彼は、中国浙江省(せっこうしょう)の西湖(せいこ)の風景をまねて庭を造り、そこから「縮景園」の名が付けられたと言います。 この庭園は、歴代の藩主に愛好されており、たとえば、五代藩主吉長(よしなが)は、正徳3年(1713年)にここへ赴き、邸内の山、池、建物、橋、島などにそれぞれ雅名を付け、堀南湖に命じて、『縮景園記』を作らせています。さらに七代藩主重晟(しげあきら)は、天明3年(1783年)に京都の庭師清水七郎右衛門を招いて、中国風大鼓橋「跨虹橋(ここうきょう)」を作るなど、大幅な改修を行って庭園の景観を整えました。その後も寛政12年(1800年)、文化元年(1804年)、文化5年(1808年)などに庭園の整備拡張が行われています。 変化に富む回遊式庭園 庭園の造りは、「濯纓池(たくえいち)」と呼ばれる中央の池を跨虹橋によって二分し、茶室や小亭、山、川、島などを巧みに配置し、それらを連絡する園路によって庭内を回遊することのできる回遊式庭園になっています。これは、江戸時代の諸大名の大庭園に多く見られる形式です。また、縮景園の地割りは、実際の面積よりも大きく感じさせるように工夫されており、北の二葉山(東区)、西の己斐山(西区)の姿を借景としてうまく取り入れ、奥行きを出しています。各部分の変化は、あるいは深山幽谷(しんざんゆうこく)、あるいは広々とした海浜を思わせ、四季の風物の赴きも深いものです。 園内の東の一画にある「有年場」には、小さな田が4枚あり、藩主がここで米を作って藩内の作柄を知ったと言われています。その他400種種以上の薬草が植えられていた薬草園や、射場、馬場なども設けられており、ただ観賞するためだけの庭園ではなかったことがわかります。 市民にも親しまれる縮景園 明治以後も、縮景園は引続き浅野家の別邸とされました。明治27年(1894年)に大本営が広島城内に置かれた時には、ここが副営となり、園内の清風館(せいふうかん)は明治天皇の居所にあてられています。大正2年(1913年)、園内に観古館(かんこかん)が設置され、観賞が許されるようになり、さらに昭和15年(1940年)に浅野家がこの庭を広島県に寄付してからは、広く一般に開放され、市民になじみ深いものとなりました。 昭和20年(1945年)、原爆によって建物や樹木などは、ほとんど失われました。しかし4年後の昭和24年(1949年)に復旧の第1歩を踏み出し、その2年後の昭和26年(1951年)4月には園内の施設は未完成のままに再開園することとなりました。その後、昭和39年(1964年)には清風館を、昭和49年(1974年)には数寄屋造り(すきやづくり)の茶室明月亭(めいげつてい)が復元されて、実に約30年もの月日をかけてほぼ昔の姿に返っています。 名勝指定年月日:昭和15年(1940年)7月12日

    • 耕三寺・耕三寺博物館

      耕三寺・耕三寺博物館

      4.0

      もと実業家の耕三寺耕三が、母の菩提寺として建立した浄土真宗本願寺派の寺。堂塔は、国宝建造物を手本として建てられたもので、内15棟は国登録有形文化財に指定されている。なかでも、日光東照宮の陽明門を原寸大で再現した孝養門など圧巻。境内3ヶ所の宝殿には、国の重要文化財などを展示している。

    • 広島城

      広島城

      3.9

      大大名毛利氏の新たな本拠地として 鯉城(りじょう)とも在間城(ざいまじょう)とも呼ばれるこの城は、毛利輝元(てるもと)が築いたものです。 毛利氏は、鎌倉時代に起きた承久(じょうきゅう)の乱(1221年)の時に功を成し、幕府から安芸国吉田荘(安芸高田市)の地頭職(じとうしき)を与えら れ、郡山城(こおりやまじょう)を中心に勢力を伸ばした豪族です。なかでも元就は傑出した人物で、戦国時代の乱世の中、山陰の尼子氏をはじめ各地の有力武士を倒して、中国地方に並ぶ者のない大大名となりました。 元就の孫輝元も、豊臣政権下で112万石の大名として大きな力を持っていました。彼は郡山城から、内海交通の要所で、政治的、軍事的、経済的に有利な太田川河口に本拠を移すことを決めます。当時、太田川河口は「五ヶ村」と呼ばれ、葦の茂る寒村だったと言います。輝元は、地元の豪族福島元長(もとなが)らの案内で、己斐(こい)山や二葉(ふたば)山などの上から検分し、その結果五ヶ村のうち最大の島「在間」の北部に城を築くことにしました。 困難をきわめた築城工事 天正17年(1589年)春、二宮就辰(にのみやなりとき)と穂田元清(ほいだもときよ)を普請奉行(ふしんぶぎょ う)として、築城工事が始まります。しかし、河ロデルタの低湿地に堀を造り、掘り上げ土砂で城地を高くする基礎工事は困難を極めました。築城に必要な材料も近くにはなく、石材は江田島や倉橋島などから、材木は周防(すおう)国(山口県)の浮島などからはるばると運ばなければなりませんでした。しかし約2年の歳月を費やしてこの難工事も一部完成し、天正19年(1591年)2月頃、輝元は新しい城に移りました。 城郭は、東西約992m、南北約1,010mで、中央には内堀で囲まれた本丸、二の丸、そして内堀の外側には一族の大名や重臣の屋敷を置いた三の丸、さらにその周囲に外堀が設けられており、太田川も天然の外堀として 利用されていました。中心となる本丸には、北半分に藩主が居住し政務をとる"御館(みたて)"があり、西北の隅に五重五層の天守閣を置いて、その東と南に 三層の小天守を連ねていたと言います。 また、築城工事と並行して、城の南側を中心とする町人町や水路、陸路の整備も進められました。これには輝元が各地から招いた大商人たちも参加し、整然とした碁盤目状の町割りが完成しました。ここに中国地方の政治経済の中心地となる新しいまち「広島」が誕生したのです。 広島の歴史とともに 輝元は、入城して10年もたたない慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでの責任を問われ、かわって福島正則(ふくしままさのり)が城主となります。福島時代の19年間、広島では物資の生産、流通が盛んになり、人口が増え、次第に町域も広がっていきました。しかしその福島氏も、秀吉恩顧の大名として幕府ににらまれ、城を無断で修築したことを理由に、信濃(しなの)国川中島(長野県)へ改易されました。その後を継いで広島城主となったのは、元和5年(1619年)に和歌山から移ってきた浅野長晟(ながあきら)です。以後、12代250年間にわたって浅野氏の藩政が続き、やがて明治維新を迎えました。 維新後、広島城は急速に姿を変えていきます。明治4年(1871年)には陸軍の鎮台(ちんだい)の分営が置かれ、明治27、28年(1894年〜95年)の日清戦争の時には本丸に大本営が設けられるなど、太平洋戦争が終わるまで主に陸軍の施設地として利用されました。外堀も明治時代の末に埋められ、電車の軌道や宅地となっています。また、天守閣(旧国宝)や太鼓櫓(たいこやぐら)などが残っていましたが、それらも原爆によりすべて失われてしまいました

    広島県 おすすめの観光スポットガイドをみる

  • 広島県 おすすめのイベント情報

    • 春の花まつり、初夏のユリまつり

      春の花まつり、初夏のユリまつり

      2022年04月09日〜2022年07月10日(予定)(開催場所:広島県 広島県世羅町 花の駅せら)

      7haの広大な丘に広がる花の駅せらでは、春から初夏の花の開花にあわせて「春の花まつり」と「初夏のユリまつり」が開催されます。例年4月中旬から5月下旬にかけて、約5万株のビオラのほか、約8万株のネモフィラや約10万株のカリフォルニアポピーなど、春の花々が見頃を迎えます。6月中旬からは約2万本の初夏のユリが咲き誇り、切り花や世羅の特産品の販売などが行われます。美しく可憐な花々に囲まれながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。

    • 呉湾 艦船めぐり

      呉湾 艦船めぐり

      2022年01月01日〜2022年12月31日(予定)(開催場所:広島県 広島県呉市 呉中央桟橋)

      海上自衛隊の潜水艦や護衛艦など、多彩な大迫力の艦船を眺めながら、潜水艦基地をクルーズします。護衛艦「かが」や停泊中の潜水艦をはじめ、当日湾内に停泊している艦船などを巡ります。日の入り時間の15分前に出港する「夕呉クルーズ」では、海上自衛隊艦船の自衛艦旗(16条旗)降下時のラッパ演奏とともに夕陽を眺めながら、呉ならではの軍港クルージングが楽しめます。

    • 尾道〜鞆の浦航路運航

      尾道〜鞆の浦航路運航

      2022年03月12日〜2022年11月20日(予定)(開催場所:広島県 広島県福山市 JR尾道駅前桟橋〜千光寺ロープウェイ乗場下桟橋(十四日元町桟橋)〜鞆の浦県営桟橋)

      JR尾道駅前桟橋と鞆の浦間を、約1時間かけて観光クルーズ船が運航されます。歴史ある尾道から鞆の浦の町並みを、海上から眺めることができます。途中、尾道千光寺ロープウェイ下桟橋(十四日元町桟橋)にも寄るので、便利で気軽に利用できます。

    広島県 おすすめのイベント情報ガイドをみる

広島県は、山陽地方の瀬戸内海に面したエリアに位置しています。県庁所在地の広島市は日本有数の観光都市としても知られています。海外からの観光客も多く、イタリアンや中華をはじめとしてさまざまな飲食店が展開されています。
地元のグルメとして有名なのは、同地の名を冠した広島焼きが挙げられます。主な具材はキャベツ、もやし、中華そばの麺ですが、生地と混ぜずに上から重ねるように焼き、一番上に卵を重ねるという方法で作られます。
また、安芸地方を中心に牡蠣の養殖が盛んであり、濃厚な味を堪能することができます。焼き牡蠣や鍋などの調理法が挙げられます。



宿・ホテルホテルチェーンビジネスホテル温泉・露天風呂じゃらんパックJR/JAL/ANA)|レンタカー航空券観光ガイド海外