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    【歴史】広島って、広い島だったからだと?

    更新 : 2022/1/27 18:11

    皆様こんにちは。
    ホテルリブマックスPREMIUM広島です♪

    以前紹介しました、平安時代は広島は海の底という衝撃的?事実。
    今日はそこから産声を上げた「広島誕生物語」をご紹介します。

    現在、広島市内には6本の川が流れています。
    東から、「猿猴川」「京橋川」「本川」「元安川」「天満川」「太田川放水路」です。
    その大元が「太田川」で、市内を流れる6本の川は、全て太田川から別れた物です。
    菅原道真が尾長天満宮を訪れた平安時代、今の広島駅から南の市街地は、比治山や江波などの小山を除いて全て水の中でした。
    ちょうど太田川の河口に位置し、広島湾の海水と、太田川から流れる水がぶつかる場所でした。

    太田川は、広島県廿日市市北部の冠山を源流とし、広島県北の山裾を縫うように流れ、途中で大小の川達と合流を繰り返して大きく成長していきます。
    河口までの全長は約100キロ。
    川の水の中には、途中で拾った土砂も含まれます。その土砂が広島湾の海水とぶつかって堆積し、長い年月をかけて「中洲」を形成していきます。
    今でも、本川や太田川放水路に、所々小さな中洲を見ることが出来ます。
    実は、これが広島の原風景なのです。

    小さな中洲は、更に土砂の堆積受けて、どんどん大きく広くなります。
    それも1か所でなく、広島湾を埋めていくように、あちらこちらに出来上がっていきます。
    そして島と島の間に川が形成され、今の広島市の原型が徐々に出来上がります。
    さながら太田川が6本の川に分かれるような今の地形も、実は土砂が堆積して出来上がっていったものだったのです。

    平安時代から約500年。
    安土桃山時代、中国地方で一番の太守であった「毛利輝元」により、中洲に城が作られます。
    その時築城地に選ばれた島が、このあたりで一番広い島だった・・・

    「広い島」だから、「広島」
    と、命名されたと言われています。

    単純...(これには諸説あります)

    ただ、広島城が作られた当時、まだ海岸線は今の平和大通りあたりでした。
    平和大通り沿いにある白神社には、当時の岩礁が残っています。
    広さは、今の広島市の半分以下です。

    そこからどのようにして、広島の街が広く大きくなっていったのか。
    そもそも、なぜ広島に街が創られたのか。

    興味は尽きませんが、文字数の都合(笑)で、また折を見てお話させて頂ければと存じます。

    広島誕生物語は、まだまだ続きます♪

    広島駅から北西に2キロ。東区牛田地区の地図です。
    本川の中に数か所の中洲が確認できます。
    広島の街は、この中洲が大きく成長した塊に存在します。

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