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ホテルリブマックスPREMIUM広島のお知らせ・ブログ
広島の「こい」の始まり 【己斐・旭山神社】
更新 : 2022/2/14 10:37
皆様こんにちは。
ホテルリブマックスPREMIUM広島です。
2/14は、バレンタインデー。
なので、広島の「こい」のお話です。
ただし「Love」ではなく「Carp」の方です(笑)
そのルーツは、広島駅から山陽本線で3駅先の「西広島」にあります。
駅から徒歩10分の所にある、「旭山神社(あさひやまじんじゃ)」。
地元では、氏神「こいの宮」として親しまれています。
祭神は息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、宗像三女神です。
本殿は、麓から146段の石段を登った先にあります。
多少の体力が必要ですが、山頂の本殿からは、広島市街を一望できます。
旭山神社の名付け親は、広島城を築いた毛利輝元の祖父、毛利元就です。
1555年、合戦前に必勝祈願で社に立ち寄った際、ちょうど東の空から朝日が昇り、士気が爆上げ。
その合戦で大勝利した事から、縁起を担いで付近の山を「旭山」、社名を「旭山八幡宮」と名付けました。
孫の輝元も、広島城の築城地視察の為に、旭山神社を訪れています。
あれ?
「こい」の話が出てきませんが、、、
ご安心ください。話はここからです。
旭山神社の創建は、毛利元就が訪れた戦国時代よりもずーっと昔で、具体的なことは今もって不明です。
ご由緒では、こうあります。
神功(じんぐう)皇后が193年に船で九州に向かわれる途中、この地に立ち寄リます。
193年は、中国では三国志の時代。
当時この場所は、広島湾に面した岬でした。
上陸した皇后を出迎えた土地の県主(あがたぬし)は、大きな鯉を献上しました。
すると皇后様は「おお、こひ(こい)、こひ」と大はしゃぎ♪
本殿内には、その時の様子を描いた絵があります。
そしてこの地に社が創建され、周辺の地名は「鯉村」と名付けられます。
やがて「鯉」から「己斐」に変わりますが、読みは同じ「こい」。
広島の「こい」の始まりです。
そして、広島は「こい」で溢れていきます。
鯉城(広島城)、鯉城通り(国道54号の1部)、小西養鯉場(錦鯉の販売養殖)、広島カープ、カープうどん、カープ鳥(焼き鳥)、カープタクシー。
他にも「鯉(カープ)」を冠する地元の企業や団体が、多数あります!
「こい」と深い絆で結ばれた「広島」。
その始まりは、旭山神社のご祭神である皇后様の、歓喜の「おお、こい、こい」だったのです。
皆様のこいが、実りますように♪
JR西広島駅北口から歩く事、約10分。
旭山神社の入り口に着きました。
ここから本殿まで、146段の石段を登っていきます。
急ではありませんが、延々と続く石段。
「人の一生は、重き荷を背負うて、遠き道を行くが如し」
急がず、ゆっくりと登っていきましょう♪
本殿に近づくと、広島市街地が一望できるようになります。
こちらは東側。西広島駅から広島駅〜紙屋町方面まで見通せます。
毛利元就も、この景色から昇る朝日を拝んだので、勝負に行ったのしょうね♪
(ただし、当時は中州と海でした)
こちらが旭山神社の本殿です。
1945年8月6日。
爆心地から3キロの本殿も、原爆の爆風により倒壊してしまいます。
が、幸いにも炎上は免れました。
本殿に向かって左側には、末社である「旭山稲荷神社」があります。
元々は、本殿途中の山腹にあったものが、工事の関係で山頂の本殿横に移されてきました。
しかし工事が終われば、元の場所に戻される予定です。
神功(じんぐう)皇后が、出迎えた土地の県主(あがたぬし)から、大きな鯉を献上された時の様子です。この絵は本殿の中の天井部分に掛けられています。
大きな目をした巨大な鯉に、皇后が手を挙げてはしゃいでいる(?)様子が良く描かれています。
背後には船も描かれており、当時一帯が海だった様子を表しています。
旭山神社はお守りも豊富。
コイにまつわるお守りも・・・
あ、Carpの方ですね♪
西広島・己斐一帯は、漫画「ズッコケ三人組」の舞台です。
町内にはいたるところに案内があります。
ちなみに旭山神社は、「花山神社」として登場します。
地元商店街には、コイをモチーフにした幟や提灯が多数。
幟には、「鯉に恋して己斐の街」と書かれてあります。
今でも旭山神社が「こいの宮」として崇拝されている証であり、西広島がコイ(己斐)の町であることを物語ります。
JR西広島駅です。
昨年12月19日から新駅舎が開業しました。
南北両出入口は2F自由通路で繋がり、改札外にはコンビニと、むさし(弁当)が入店しています。
近くには広電西広島駅と、平和記念公園またはジアウトレット広島方面のバス停があり、広島市西部の交通拠点でもあります。
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